・・・ 地理に通じない叔母の返事は、心細いくらい曖昧だった。それが何故か唐突と、洋一の内に潜んでいたある不安を呼び醒ました。兄は帰って来るだろうか?――そう思うと彼は電報に、もっと大仰な文句を書いても、好かったような気がし出した。母は兄に会い・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・夜中にお通じがあったから碁石が出て来たのよ。……でも本当に怖いから、これから兄さんも碁石だけはおもちゃにしないで頂戴ね。兄さん……八っちゃんが悪かった時、兄さんは泣いていたのね。もう泣かないでもいいことになったのよ。今日こそあなたがたに一番・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・という事であるのを忘れて了って、既に従来の道徳は必然服従せねばならぬものでない以上、凡ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、乃至は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍れむに至っては、性急もま・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・…… 汽車が通じてから、はじめて帰ったので、停車場を出た所の、故郷は、と一目見ると、石を置いた屋根より、赤く塗った柱より、先ずその山を見て、暫時茫然として彳んだのは、つい二、三日前の事であった。 腕車を雇って、さして行く従姉の町より・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・おとよさんは微笑で意を通じ、省作のスガイを十本二十本ずつ刈りすけてやる。おはまはなんといっても十四の小娘だ。おとよさんのそのしぐさに少しも気がつかない。満蔵はひとりでうたい飽きて、「おはまさアうたえよ。おとよさアなで今日はうたわねいか」・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・吉弥を通じて僕に会いたいということづてもあったが、僕は面倒だと思ってはねつけておいた。かつどうも当地にとどまる女ではないし、また帰ったら女優になると言っているから、女房にしようなどいう野心を起して、つまらない金は使わない方がよかろうと、かれ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、日本の洋楽が椿岳や彦太楼尾張屋の楼主から開拓されたというは明治の音楽史研究者の余り知らない頗る変梃 椿岳は諸芸に通じ、蹴鞠の免状までも取った多芸者であった。お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書な・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・「なに、懐炉を当ててるから……今日はそれに、一度も通じがねえから、さっき下剤を飲んで見たがまだ利かねえ、そのせいか胸がムカムカしてな」「いけないね、じゃもう一度下剤をかけて見たらどうだね!」「いいや、もう少し待って見て、いよいよ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと泛びあがって来る。間もなく夜が明ける。 人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方・・・ 織田作之助 「秋の暈」
出典:青空文庫