・・・――私は、通りすがりに一寸見、それが誰だか一目で見分ける。平賀だ。大観音の先のブリキ屋の人である。 玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年学校を卒業なさった方に、これが・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽の匂う草の上に坐って見たい気持をおこさせた。 杉林や空地はどれも路の右側を占めてい・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・ そのお婆さんの女中頭が廊下を通りすがりにそれをききつけ、黙ってお代りを持って来て呉れたのだそうだ。「――今日もその伝じゃあない? 私ぺこぺこよ」「こんなに私いただくの珍らしいんです」 食事の半から、細かい雨が降り出した。・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・そういう話がある折であったから通りすがりに見るこの米屋の大活況は何となし感じに来るものがあるのであった。そこは朝夕郊外からの勤人が夥しく通る往来でもあったから、そういう男の人たちはどんな感情でこの米屋の店の有様を見て通るのだろうか。そんなこ・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・それを見た時丁度、そうっと他人の懐中物をかすめたすりが通りすがりに監獄の垣を見てふるえるように私の心と躰は何とも云われない悪寒とふるえをおこした、けれども、なきながら「なんだい、なくもんか男だもの」と云う子供のそれのように強いてのつけ元気に・・・ 宮本百合子 「砂丘」
・・・ 亢奮が、私をじっとさせて置かない。 声にならない音律に魂をとりかこまれながら、瞳を耀かせ、次の窓に移る。 その間にも、私の背後に、活気ある都会の行人は絶えず流動していた。 通りすがりに、強い葉巻の匂いを掠めて行く男、私の耳・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・数ヵ所で試掘が行われてい、その工事監理の事務所が風当りのつよい丘の上にバラック建でつくられている。通りすがりの窓から内部の板壁に貼ってある専門地図、レーニンの肖像、数冊の本、バラライカなどが見えた。キャンプ用寝室も置かれてある。 折から・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・初冬の午後の日光に、これがほんとに蜀紅という紅なのだと思わせて燃えている黄櫨の、その枝かげを通りすがりに、下から見上げたら、これはまた遠目にはどこにも分らなかった柔かい緑のいろが紅に溶けつつ面白く透いていて、紅葉しつつ深山の木のように重なり・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・ベンチのとなりに派手な装いの二十四、五の女のひとがいたが、茶色の背広をつけた頭の禿げた男がぶらりぶらりとこちらへ来て通りすがりに何か一寸その女のひとに言葉をかけて行った。そばにいる者にききとれない位にかけられた言葉であるけれども、それに応え・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
出典:青空文庫