・・・その子供らしい熱心さが、一党の中でも通人の名の高い十内には、可笑しいと同時に、可愛かったのであろう。彼は、素直に伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家の細作を欺くために、法衣をまとって升屋の夕霧のもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮世絵じみた、通人らしいなりをしている。昨日も妙な着物を着ているから、それは何だねと訊いて見ると、占城という物だと答えるじゃないか? 僕の友だち多しといえども、占城なぞという着物を着ているものは、若槻・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 八、半可な通人ぶりや利いた風の贅沢をせざる事。 九、容貌風采共卑しからざる事。 十、精進の志に乏しからざる事。大作をやる気になったり、読み切りそうもない本を買ったりする如き。 十一、妄に遊蕩せざる事。 十二、視力の好き・・・ 芥川竜之介 「彼の長所十八」
・・・この拗者の江戸の通人が耳の垢取り道具を揃えて元禄の昔に立返って耳の垢取り商売を初めようというと、同じ拗者仲間の高橋由一が負けぬ気になって何処からか志道軒の木陰を手に入れて来て辻談義を目論見、椿岳の浅草絵と鼎立して大に江戸気分を吐こうと計画し・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない以前は通人気取りの扇をパチつかせながらヘタヤタラとシャレをいう気障な男だろうと思っていた。ところが或る朝、突然刺を通じたので会って見ると、斜子の黒の紋付きに白ッぽい一楽のゾロリとした背・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・加うるに持って生れた通人病や粋人癖から求めて社会から遠ざかって、浮世を茶にしてシャレに送るのを高しとする風があった。当時の硯友社や根岸党の連中の態度は皆是であった。 尤も伝来の遺習が脱け切れなかった為めでもあるが、一つには職業としての文・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・文人風の洒脱な風流気も通人気取の嫌味な肌合もなかった。が、同時に政治家型の辺幅や衒気や倨傲やニコポンは薬にしたくもなかった。君子とすると覇気があり過ぎた。豪傑とすると神経過敏であった。実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 馬琴という人は、或る種類の人、ひと口に申しますれば通人がったり大人物がったりする人々には、余り賞されないのみならず、あるいはクサされる傾きさえある人でありますが、先ず日本の文学史上にはどうしても最高の地位を占めて居る人でございまして、・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ しかし、その時、涙の谷、と母に言われて父は黙し、何か冗談を言って切りかえそうと思っても、とっさにうまい言葉が浮かばず、黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り、さすがの「通人」の父も、とうとう、まじめな顔になってしまって、「誰か、人・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・また従兄にも通人がいた。全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅みたよに、一日芝居の仮声をつかうやつもあれば、素人落語もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。 一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
出典:青空文庫