・・・私たちの若い時は羽織の紋が一つしきゃないのを着て通人とか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるようになった。それも大きなのが段々小さくなったようだが、近頃どの位になっているのか。私は羽織の紋が余り大きいから流行に後れぬように小さ・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・明治の初期、戯作者気質ののこっていた通人気どりの文士たちならば、ざっくばらんに「食おうかい」とでも呼んだであろうし、明治末葉から大正にかけての作家連であったらば、十円をつかって遊びながらも文化人、芸術家としてこの人生の発展のために彼等の負う・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
服装に就いての趣味と云っても、私は着物の通人ではないから、あれがいいとか、こんな色合は悪いとかは云えない。要するに着ているそのひとに合っていればいい。種々変った型、色、等があって差し支えないということは、恰も同一の個性が人・・・ 宮本百合子 「二つの型」
・・・俗輩どもを無視する作家としての誇りを、紅葉は自身の文学的感覚、教養に認めるしかなかったのであるが、ヨーロッパ文学は未だ彼の血となり切っておらず、境遇的事情もあって、彼は自身を通人として、文人として伝統の裡に活かしめたのであった。 ここで・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・ 当時小倉袴仲間の通人がわたくしに教えて云った。「あれは摂津国屋藤次郎と云う実在の人物だそうだよ」と。モデエルと云う語はこう云う意味にはまだ使われていなかった。 この津藤セニョオルは新橋山城町の酒屋の主人であった。その居る処から山城・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・芸妓の芸が音曲舞踊の芸ではなくして枕席の技巧を意味せられる時代には、通人はもはや昔のように優れた享楽人であることを要しないのである。 享楽の能力が豊富であるとは、物象に現われた生命の価値を十分に味わい得るということである。そのためにはあ・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫