・・・随って当時の女学校の寄宿舎の応接室に青年学生の姿を見ない日はなかった。通学生の待合室にすらも若い学生がしばしば出入した。学生の倶楽部や青年の会合には必ず女学生が出席して、才色あるものが女王の位置を占めていた。が、子女の父兄は教師も学校も許す・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・才の集るところだという理由で、生徒たちは土地で一番もてる人種であり、それ故生徒たちは銭湯へ行くのにも制服制帽を着用しているのを滑稽だと思ったので、制服制帽は質に入れて、和服無帽で長髪を風に靡かせながら通学した。つまり私は十分風変りであったが・・・ 織田作之助 「髪」
・・・中学生の時分より着ているよれよれの絣の着物で通学した。袴をはくのがきらいだったので、下宿を出る時、懐へ袴をつっ込んで行き、校門の前で出してはいたという。制帽も持たなかった。だから、誰も彼を学生だと思うものはなかった。労働者か地廻りのように思・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・合格すると無理やりに通学しだした。彼は、成績がよかった。 中学を出ると、再び殆んど無断で、高商へ学校からの推薦で入学してしまった。おしかは愚痴をこぼしたが、親の云いつけに従わぬからと云って、息子を放って置く訳にも行かなかった。他にかけか・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ 強て何か話が無いかとお尋ねならば、仕方がありません、わたくしが少時の間――左様です、十六七の頃に通学した事のある漢学や数学の私塾の有様や、其の頃の雑事や、同じ学舎に通った朋友等の状態に就いてのお話でも仕て見ましょう。今でも其の時分の面・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・毎日毎日通学するのだがネ。爰に或朝偶然大真理を発見する種になる事に出逢ッたのサ。ちょうど或朝少し後れて家を出たが、時間が例より後れたから駈出したのサ。所が何も障害物のない広い野だのに、道が真直についていないのサ。道が真直についていれば早く到・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・甲府は遠いので通学には困難である。けれども、町の所謂ものもちは、そのお嬢さん達を甲府市の女学校にいれたがる。理由のない見識であるが、すこしでも大きい学校に子供をいれるという事は、所謂ものもちにとっては、一つの義務にさえなっているようである。・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・もっともそのころでもモダーンなハイカラな人もたくさんあって、たとえば当時通学していた番町小学校の同級生の中には昼の弁当としてパンとバタを常用していた小公子もあった。そのバタというものの名前さえも知らず、きれいな切り子ガラスの小さな壺にはいっ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・外国語学校に通学していた頃、神田の町の角々に、『読売新聞』紙上に『金色夜叉』が連載せられるという予告が貼出されていたのを見たがしかしわたくしはその当時にはこれを読まなかった。啻に『金色夜叉』のみならず紅葉先生の著作は、明治三十四、五年の頃友・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・それかといって、多くの女性が、自分の娘の幼い通学姿を眺めて、我知らず追懐に胸をそそられるだろうような場合は、未だ自分にとっては未知の世界に属する。若しかすると、折々記憶の裡に浮み上るその頃の自分が、我ながら無条件に可愛ゆいとは云いかねるよう・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
出典:青空文庫