・・・○夏目先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は過去において、十二分に仕事をされた人である。が、先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は、このごろある転機の上に立っていられたようだから。すべての偉大な人のように、五十歳を期として、さらに大踏歩・・・ 芥川竜之介 「校正後に」
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑まだ私な・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去二年後に発表のこと、と書き認められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりす・・・ 太宰治 「愛と美について」
変心 文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。 その帰り、二人の男が相合傘で歩いている。いずれも、その逝去した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就いての、極めて不きんし・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・私は、三井君の親友から葉書でその逝去の知らせを受けたのである。このような時代に、からだが悪くて兵隊にもなれず、病床で息を引きとる若いひとは、あわれである。あとで三井君の親友から聞いたが、三井君には、疾患をなおす気がなかったようだ。御母堂と三・・・ 太宰治 「散華」
・・・り手ほどきを受け、この道を伝授せらるる事数年に及び申候えども、悲しい哉、わが性鈍にしてその真趣を究る能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、われも実父も共に呆れ、孫左衛門殿逝去の後は、われその道を好むと雖も指南を・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去二年後に発表のこと、と書き認められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二ヶ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりす・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・その中、同君の逝去せられたのを聞いて残念に堪えない。新聞によれば、何千人かの会葬者があったらしい。同君は何処かにえらい所があったのだと思う。 右のような訳で、高校時代には、活溌な愉快な思出の多いのに反し、大学時代には先生にも親しまれず、・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
最近、昆虫学の泰斗として名声のあった某理学博士が、突然に逝去された報道は、自分に、暫くは呆然とする程の驚きと共に、深い深い二三の反省ともいうべきものを与えました。故博士に就て、自分は何も個人的に知ってはおりません。 た・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主人松向寺殿御逝去遊ばされて後、肥後国八代の城下を引払いたる興津の一家は、同国隈本の城下に在住候えば、この遺書御目に触れ候わば、はなはだ慮外の至に候えども、幸便を以・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫