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辞書
出典:デジタル大辞泉(小学館)
おうさかのせき【逢坂の関】
逢坂山にあった関所。三関の一。東海道・東山道の京都への入り口にあたる要所。蝉丸 (せみまる) が住んだという蝉丸神社(関明神)がある。[歌枕]「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも—」〈後撰・雑一〉
おうさかやま【逢坂山】
大津市と京都市との境にある山。標高325メートル。古来、交通の要地。下を東海道本線のトンネルが通る。関山。[歌枕]「吾妹子に—を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしも無し」〈万・三七六二〉
出典:gooニュース
逢坂冬馬さん「ブレイクショットの軌跡」 第3作の舞台は日本へ。四輪駆動車がつなぐ断片化された世界
デビュー作「同志少女よ、敵を撃て」で本屋大賞を受賞した作家の逢坂冬馬さんが、第3作となる長編「ブレイクショットの軌跡」(早川書房)を出した。戦時下のヨーロッパを描いた過去2作から一転、主な舞台を現代日本に移し、断片化された世界を物語の力でつなぎ合わせる意欲作だ。 「小説家の作風がどこで決まるか。あるいは、どこで作風が固まったとみなされるか。
好書好日2025/03/28 10:00
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出典:青空文庫
・・・を頼んでおいた近くの逢坂町にある春風荘という精神道場へ行こうとす・・・ 織田作之助「アド・バルーン」
・・・この上は逢坂なり。この名を聞きて思い出す昔の語り草はならぶるも管・・・ 寺田寅彦「東上記」
出典:教えて!goo
「逢坂」から「大坂」、「大阪」への変遷について
タイトルそのものズバリです。 蝉丸の頃は「逢坂」 秀吉のときは「大坂」 そして今は「大阪」 どのよーな理由があって、このように変遷したのでしょうか?
逢坂剛
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