・・・芭蕉は連句に於いて、わがままをする事がしばしばある。まるで、投げてしまう事がある。浮かぬ気持になるのであろう。それも知らずに、ただもう面白がって下手な趣向をこらしているのは去来である。去来、それにつづけて、 ただどひやうしに長き脇・・・ 太宰治 「天狗」
・・・誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成と非常に類似したものであるということを指摘したことがある。その後エイゼンシュテインの所論を読んだときに共鳴の愉快を感ずると同時に、彼が連句について何事も触れていないのを遺憾に思った。おそらく彼は・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ エイゼンシュテインがいかなる程度にわが国の俳諧を理解してこう言っているかはわかりかねるが、日本人の目から見ても最もすぐれたモンタージュ芸術の典型として推すべきものはいわゆる俳諧連句そのものである。 ヤニングスとディートリヒの「青い・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作者に多少でも俳諧連句の素養があらば、こういうところでいくらでも効果的な材料の使い方があるであろうと思われるのである。 早打ちの使者の道中を見せる一連の編集でも連句的手法を借りて来ればどんなにで・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ これに対する有益なヒントはたとえば俳諧連句の研究によっても得られる。連句における天然と人事との複雑に入り乱れたシーンからシーンへの推移の間に、われわれはそれらのシーンの底に流れるある力強い運動を感じる。たとえば「猿蓑」の一巻をとって読・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・試みに俳諧連句にしてみると朝霧やパリは眠りのまださめず 河岸のベンチのぬれてやや寒有明の月に薪を取り込んで あちらこちらに窓あける音とでもいったような趣がある。「イズンティット・ロマンティク」の歌の連・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
一 連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。前句の世界へすっかり身を沈めてその底から何物かを握んで浮上がって来るとそこに自分自身の世界が開けている。 前句の表面に・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・に収められた俳諧や連句に関する所説や、「螢光板」の中の天災に関する諸編をも参照さるれば大幸である。 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・しかし、ともかくも連句というものの世界の広大無辺なことを思わせる一例であろう。少し変わった言い方をすると「俳諧の道は古代ギリシアの兵法にも通う」のである。これは一笑に値する。 六 昔、ラスキンが人から剽窃呼ばわりをさ・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・その線の途中から枝分かれをして連歌が生じ、それからまた枝が出て俳諧連句が生じた。発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実のごときものであった。後に俳諧から分岐した雑俳の枝頭には川柳が芽を吹いた。 連歌から俳諧へ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫