・・・ただ一つの逸話として伝えられているのは、彼が五歳の時に、父から一つの羅針盤を見せられた事がある、その時に、何ら直接に接触するもののない磁針が、見えざる力の作用で動くのを見て非常に強い印象を受けたという事である。その時の印象が彼の後年の仕事に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ この三人の方々に聞いてみたら何かしら学生時代の先生の横顔を偲ばせるような逸話でも聞き出されたかもしれなかったのであるが、浜口氏は亡くなり、大原氏は永く消息を聞かない。溝淵氏は自分等の中学時代に『ラセラス伝』を教わった先生であって、その・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・この直感は芸術家のいわゆるインスピレーションと類似のものであって、これに関する科学者の逸話なども少なくない。長い間考えていてどうしても解釈のつかなかった問題が、偶然の機会にほとんど電光のように一時にくまなくその究極を示顕する。その光で一度目・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・上述のガリレー、ニュートンの発見に関する逸話はその実信ずるに足らぬ俗説であるが、しかしこれらの発見をするためにはまた非凡な準備素養を要した事は言うまでもない。ルベリエが海王星を発見したのも、天王星の運動を精細に知りその運動の説明しがたき小不・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・ 十七 野中兼山の土木工学者としての逸話を二つだけ記憶している。その一つは、わずかな高低凹凸の複雑に分布した地面の水準測量をするのに、わざと夜間を選び、助手に点火した線香を持って所定の方向に歩かせ、その火光をねら・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・のらねこを退治するのだと言って、槍かあるいは槍といっしょに長押にかかっていた袖がらみのようなものかを持ち出して意気込んでいたが、ねこの鳴き声を聞くと同時にそれを投げ出して座敷にかけ上がったというような逸話もあった。 三人の兄弟のだれと思・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・自分がそもそも最初に深川の方面へ出掛けて行ったのもやはりこの汐留の石橋の下から出発する小な石油の蒸汽船に乗ったのであるが、それすら今では既に既に消滅してしまった時代の逸話となった。 銀座と銀座の界隈とはこれから先も一日一日と変って行くで・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・と罵った事をも私は明治小説史上の逸話として面白く記憶している。 いつぞや柳橋の裏路地の二階に真夏の日盛りを過した事があった。その時分知っていたこの家の女を誘って何処か凉しい処へ遊びに行くつもりで立寄ったのであるが、窓外の物干台へ照付・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・千四百四十九年にバーガンデの私生子と称する豪のものがラ・ベル・ジャルダンと云える路を首尾よく三十日間守り終せたるは今に人の口碑に存する逸話である。三十日の間私生子と起居を共にせる美人は只「清き巡礼の子」という名にその本名を知る事が出来ぬのは・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫