・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・当時都下の温泉旅館と称するものは旅客の宿泊する処ではなくして、都人の来って酒宴を張り或は遊冶郎の窃に芸妓矢場女の如き者を拉して来る処で、市中繁華の街を離れて稍幽静なる地区には必温泉場なるものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草・・・ 永井荷風 「上野」
・・・一人の遊冶郎の美的生活は家庭の荒寥となり母の涙となり妻の絶望となる。冷たき家庭に生い立つ子供は未来に希望の輝きがない。また安逸に執着する欲情を見よ。勉強するはいやである。勉強を強うる教師は学生の自負と悦楽を奪略するものである。寄席にあるべき・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫