・・・ 言うまでもなく商売人だけれど、芸妓だか、遊女だか――それは今において分らない――何しろ、宗吉には三ツ四ツ、もっとかと思う年紀上の綺麗な姉さん、婀娜なお千さんだったのである。 前夜まで――唯今のような、じとじと降の雨だったのが、花の・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・分けて今年は暖さに枝垂れた黒髪はなお濃かで、中にも真中に、月光を浴びて漆のように高く立った火の見階子に、袖を掛けた柳の一本は瑠璃天井の階子段に、遊女の凭れた風情がある。 このあたりを、ちらほらと、そぞろ歩行の人通り。見附正面の総湯の門に・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ハハハハハハ、公方が河内正覚寺の御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。」と笑った。二人は畳に頭をすりつけて謝した。其間に男は立上って、手早く笛を懐中して了って歩き出した。雪に汚れた革・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・しかし彼は恋の本情を認識して恋の風雅を味わうために頭を丸め、一つ家の遊女と袂を別った。これと比較するとたとえば蕪村は自然に対するエロチシズムをもっていない。画家であった彼の目には万象が恋の相手であるよりはより多く絵画の題材であるか、あるいは・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在ったことは今猶都人の話柄に上る所である。小西湖佳話に曰く「湖北ノ地、忍ヶ岡ト向ヶ岡トハ東西相対ス。其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・この寺はむかしから遊女の病死したもの、または情死して引取手のないものを葬る処で、安政二年の震災に死した遊女の供養塔が目に立つばかり。その他の石は皆小さく蔦かつらに蔽われていた。その頃年少のわたくしがこの寺の所在を知ったのは宮戸座の役者たちが・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・とかく柔弱たがる金縁の眼鏡も厭味に見えず、男の眼にも男らしい男振りであるから、遊女なぞにはわけて好かれそうである。 吉里が入ッて来た時、二客ともその顔を見上げた。平田はすぐその眼を外らし、思い出したように猪口を取ッて仰ぐがごとく口へつけ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・鮓を圧す石上に詩を題すべく緑子の頭巾眉深きいとほしみ大矢数弓師親子も参りたる時鳥歌よむ遊女聞ゆなる麻刈れと夕日此頃斜なる「たり」「なり」と言わずして「たる」「なる」と言うがごとき、「べし」と言わずして「べく」・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・同時に遊女、乞食、そういう人までが詠んだ歌を、歌として面白ければ万葉集は偏見なく集めている。日本の古典の中に万葉集ほど人民的な歌集はなかった。万葉集以前の古事記や日本書紀の中で、最初に描かれた女性であるイザナミノミコトは、古事記を編纂させた・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・真白い布団に真赤なしかけを着た遊女が一人横になって居るのまで。きれいで可笑しい、何だか。すると、その船頭のような男が「ああして置いてよっぽど人が入るようになりました、こしらえものです」 夢 二の家、なかに又三角に・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫