・・・かくて日本には今「遊民」という不思議な階級が漸次その数を増しつつある。今やどんな僻村へ行っても三人か五人の中学卒業者がいる。そうして彼らの事業は、じつに、父兄の財産を食い減すこととむだ話をすることだけである。 我々青年を囲繞する空気は、・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・渠等が幅を利かすは本屋や遊里や一つ仲間の遊民に対する場合だけであって、社会的には袋物屋さん下駄屋さん差配さんたるより外仕方が無かったのである。 斯ういう生活に能く熟している渠等文人は、小説や院本は戯作というような下らぬもので無いという事・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・けれども、こんどは、なんの情熱も無かった。遊民の虚無。それが、東京の一隅にはじめて家を持った時の、私の姿だ。 そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・説を書いて出版するや否や、忽ち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰の談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕に等しき悪名が、今はもっけの幸に、高等遊民不良少年をお顧客の文芸雑誌で飯を喰う・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・にある辟寒地で、二万人を入れるカジノの中に、世界の遊民が、一杯の珈琲に安閑として居るのを見て、アリストートルと希臘文明に顕れた幸福主義の結果だと論じたという事は、私に重大な反省を与える。幸福主義というのは、何を意味するものなのか、人間の幸福・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
・・・僕は画かきになる時、親爺が見限ってしまって、現に高等遊民として取扱っているのだ。君は歴史家になると云うのをお父うさんが喜んで承知した。そこで大学も卒業した。洋行も僕のように無理をしないで、気楽にした。君は今まで葛藤の繰延をしていたのだ。僕の・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 竜池が遊ぶ時の取巻は深川の遊民であった。桜川由次郎、鳥羽屋小三次、十寸見和十、乾坤坊良斎、岩窪北渓、尾の丸小兼、竹内、三竺、喜斎等がその主なるものである。由次郎は後に吉原に遷って二代目善孝と云った。和十は河東節の太夫、良斎は落語家、北・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫