・・・ わたくしは遊廓をめぐる附近の町の光景を説いて、今余すところは南側の浅草の方面ばかりとなった。吉原から浅草に至る通路の重なるものは二筋あった。その一筋は大門を出て堤を右手に行くこと二、三町、むかしは土手の平松とかいった料理屋の跡を、その・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 夏中洲崎の遊廓に、燈籠の催しのあった時分、夜おそく舟で通った景色をも、自分は一生忘れまい。苫のかげから漏れる鈍い火影が、酒に酔って喧嘩している裸体の船頭を照す。川添いの小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、文身した裸体の男と酒を呑ん・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・吉原の遊廓外にあった日本堤の取崩されて平かな道路になったのも同じ理由からであろう。実例としては明治四十三年八月に起った水害の後、東京の市民は幾十年を過ぎた今日に至るまで、一度も隅田川の水が上野下谷の町々まで汎濫して来たような異変を知らない。・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・僕も年少の比吉原遊廓の内外では屡無頼の徒に襲われた経験がある。千束町から土手に到る間の小さな飲食店で飲んでいると、その辺を縄張り中にしている無頼漢は、必折を窺って、はなしをしかける。これが悶着の端緒である。之を避けるには便所へでも行くふりを・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・、会社の役人、学者も医者も寺の和尚も、衣食既に足りて其以上に何等の所望と尋ぬれば、至急の急は則ち性慾を恣にするの一事にして、其方法に陰あり陽あり、幽微なるあり顕明なるあり、所謂浮気者は人目も憚らずして遊廓に狂い芸妓に戯れ、醜体百出人面獣行、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 三 遊廓は、封建的な婦女の市場だった。徳川時代、武士と町人百姓の身分制度はきびしくて、町人からの借金で生計を保つ武士にも、斬りすて御免の権力があった。高利貸資本を蓄積して徳川中葉から経済力を充実させて来た・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・しかし、日本の当時の文学をつくる人たちはそのような文学の使命を一向に感じず、求めようともせず、遊廓文学めいた作品をつくっている。 この煩悶を二葉亭四迷はついに文学の内部で解決する方法を見出すことが出来なかった。そこに、彼の時代の悲劇と彼・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・ 新宿の遊廓でたった一晩来た外国人に身代金を出して貰い自由の身になった娘さんのことも新聞に出て、身の上話が雑誌に出たりしているが、売られた娘の間でこの話は、どんな風に話し合われているであろうか。 私は、そういうめずらしい機会にめぐり・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・この辺は旭町の遊廓が近いので、三味や太鼓の音もするが、よほど鈍く微かになって聞えるから、うるさくはない。 竹が台所から出て来て、饂飩の代りを勧めると、富田が手を揮って云った。「もういけない。饂飩はもう御免だ。この家にも奥さんがいれば・・・ 森鴎外 「独身」
・・・最初に見える人家は旭町の遊廓である。どの家にも二階の欄干に赤い布団が掛けてある。こんな日に干すのでもあるまい。毎日降るのだから、こうして曝すのであろう。 がらがらと音がして、汽車が紫川の鉄道橋を渡ると、間もなく小倉の停車場に着く。参謀長・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫