・・・と思うと、もう生きている価値がない、死んだ方が好い、死んだ方が好い、死んだ方が好い、とかれは大きな体格を運びながら考えた。 顔色が悪い。眼の濁っているのはその心の暗いことを示している。妻や子供や平和な家庭のことを念頭に置かぬではないが、・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・の心の動きや運びと全く同じものを、しかしいつでもただ一歩だけ先導しつつ進んで行くように思われるであろう。「息もつけないおもしろさ」というのは、つまり、この場合における読者の心の緊張した活動状態をさすのであろう。案を拍って快哉を叫ぶというのは・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それから三年ならずして意外なる運命は自分の身を遠い処へ運び去って、また四年五年の月日は過ぎた。再び帰って来たとき時勢は如何に著しく昨日と今日との間を隔離させていたであろう。 久しく別れた人たちに会おうとて、自分は高輪なる小波先生の文学会・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・瞽女は危ふげな手の運びようをして撥を絃へ挿んで三味線を側へ置いてぐったりとする。耳にばかり手頼る彼等の癖として俯向き加減にして凝然とする。そうかと思うとランプを仰いで見る。死んだ網膜にも灯の光がほっかりと感ずるらしい。一人の瞽女が立ったと思・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・嘶く声の果知らぬ夏野に、末広に消えて、馬の足掻の常の如く、わが手綱の思うままに運びし時は、ランスロットの影は、夜と共に微かなる奥に消えたり。――われは鞍を敲いて追う」「追い付いてか」と父と妹は声を揃えて問う。「追い付ける時は既に遅く・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・お前はそれ等の血と肉とを、バケット・コンベヤーで、運び上げ、啜り啖い、轢殺車は地響き立てながら地上を席捲する。 かくて、地上には無限に肥った一人の成人と、蒼空まで聳える轢殺車一台とが残るのか。 そうだろうか! そうだとするとお前・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・と、お梅は仲どんが置いて行ッた台の物を上の間へ運び、「お飯になすッちゃアいかがでございます。皆さんをお呼び申しましょうか」「まアいいや。平田は吉里さんの座敷にいるかい」「はい。お一人でお臥ッていらッしゃいましたよ。お淋しいだろうと思・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ そのひるすぎの半日に、象は九百把たきぎを運び、眼を細くしてよろこんだ。 晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯うひとりごとしたそうだ。 その次の日だ、「済ま・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。 私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・足の運びも前とは違って、姉の熱した心持ちが、暗示のように弟に移って行ったかと思われる。 泉の湧く所へ来た。姉はかれいけに添えてある木の椀を出して、清水を汲んだ。「これがお前の門出を祝うお酒だよ」こう言って一口飲んで弟にさした。 弟は・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫