・・・ 二 左近を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵兵衛の行く方を探って、五畿内から東海道をほとんど隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再び聞えなかった。 寛文九年の秋、一行は落ちかかる雁と共に・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・自分は最後の試みとして、両肥及び平戸天草の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄年間の MSS. 中から、ついに「さまよえる猶太人」に関する伝説を発見する事が出来た。その古文書の鑑定その他に関しては、今ここに叙説して・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 広島訛に大阪弁のまじった言葉つきを嗤われながら、そこで三月、やがて自由党の壮士の群れに投じて、川上音次郎、伊藤痴遊等の演説行に加わり、各地を遍歴した……と、こう言うと、体裁は良いが、本当は巡業の人足に雇われたのであって、うだつの上がる・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「君は何処を遍歴って此処へ来た?」と朝田が座に着くや着かぬに聞く、「イヤ、何処も遍歴らない、東京から直きに来た。」「そこでこの夏は?」「東京に居た。」「何をして?」「遊んで。」「そいつは下らなかったな」「全く・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ 三 遍歴と立宗 十二歳にして救世の知恵を求めて清澄山に登った日蓮は、諸山遍歴の後、三十二歳の四月再び清澄山に帰って立教開宗を宣するまで、二十年間をひたすら疑団の解決のために思索し、研学したのであった。 はじめ清・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それにはいろいろな人生の歩みと、心境の遍歴とを経ねばならぬ。信仰を求めつつ、現在の生活に真面目で、熱心で、正直であれば、次第にそのさとりの境地に近づいて行くのである。それ故信仰の女性というのは、普通の場合、信仰の求道者の女性という意味であっ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・人生の離合によって鍛えられない霊魂の遍歴というものは恐らくないであろう。 合うとか離れるとかいうことは実は不思議なことである。無数の人々の中で何故ある人々と人々とのみが相合うか。そしてせっかく相合い、心を傾けて愛し合いながら終わりを全う・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。 この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とか・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その後故郷を離れて熊本に住み、東京に移り、また二年半も欧米の地を遍歴したときでも、この中学時代の海水浴の折に感じたような郷愁を感じたことはなかったようである。一つにはまだ年が行かない一人子の初旅であったせいもあろうが、また一つには、わが家が・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ 物語に伝えられた最明寺時頼や講談に読まれる水戸黄門は、おそらく自分では一種の調律師のようなつもりで遍歴したものであったかもしれない。しかしおそらくこの二人は調律もしたと同時にまたかなりにいい楽器をこわすような事もして歩いたかもしれない・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
出典:青空文庫