・・・兎に角一同自動車に乗ろうとする間際になって、ふと震災後向島はどんなになっているだろうと言うような事から、始めて車を東に向けさせることにしたが、さて吾妻橋を渡り枕橋を過ると、またしても行先が定まらないので、已むことを得ず百花園という事にきめた・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・昼中でも道行く人は途絶えがちで、たまたま走り過る乗合自動車には女車掌が眠そうな顔をして腰をかけている。わたくしは夕焼の雲を見たり、明月を賞したり、あるいはまた黙想に沈みながら漫歩するには、これほど好い道は他にない事を知った。それ以来下町へ用・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・しかしそれもあまり自家吹聴に過るような気がして僅に『かかでもの記』三、四回を草して筆を擱いた。 谷崎君は、さきに西鶴と元禄時代の文学を論じ、わたくしを以て紅葉先生と趣を同じくしている作家のように言われた。事の何たるを問わず自分の事をはっ・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
戦争後、市川の町はずれに卜居したことから、以前麻布に住んでいた頃よりも東京へ出るたびたび隅田川の流れを越して浅草の町々を行過る折が多くなったので、おのずと忘れられたその時々の思出を繰返して見る日もまた少くないようになった。・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したもの・・・ 永井荷風 「向島」
・・・それ以来僕は銀座通を通り過る時には折々この店に休んで茶を飲むことにした。 これにはいろいろの理由があった。僕は十年来一日に一度、昼飯か晩飯かは外で食うことにしている。カッフェーの料理は殆ど口には入れられないほど粗悪であるが、然し僕は強い・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・職人らしい男が二、三輛ずつ自転車をつらね高声に話しながら走り過る……。 道は忽ち静になって人通りは絶え、霜枯れの雑草と枯蘆とに蔽われた空地の中に進入って、更に縦横に分れている。ところどころに泥水のたまった養魚池らしいものが見え、その岸に・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・溝川の小橋をわたりながら、鳴き過る雁の影を見送ることもあった。犬に吠えられたり、怪しげな男に後をつけられて、二人ともども息を切って走ったこともあった。道端に荷をおろしている食物売の灯を見つけ、汁粉、鍋焼饂飩に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・どうせ一旦女優になったからには、一生取るにも足りない毀誉褒貶の的となってのみ過るのは、余り甲斐ないことではないだろうか、過去十年の時日は、何か、更にもう一歩を期待させる。〔一九二一年十月〕・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・いつもは十二時過ると扉もおとなしく片開きにしてある入口が、今夜はさあっと開いたままで、煌々と燈火のついた広間に人影もない。一階二階と正面階段をゆっくりのぼってゆくと、何処にも人影はないのに燈火は廊下毎に明るく惜しげない光の波の端から端までを・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
出典:青空文庫