・・・……この剃刀で、貴方を、そりたての今道心にして、一緒に寝ようと思ったのよ。――あのね、実はね、今夜あたり紀州のあの坊さんに、私が抱かれて、そこへ、熊沢だの甘谷だのが踏込んで、不義いたずらの罪に落そうという相談に……どうでも、と言って乗せられ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 淡島堂のお堂守となったはこれから数年後であるが、一夜道心の俄坊主が殊勝な顔をして、ムニャムニャとお経を誦んでお蝋を上げたは山門に住んだと同じ心の洒落から思立ったので、信仰が今日よりも一層堕落していた明治の初年の宗教破壊気分を想像される・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ドレフュー事件の際に於ける仏国軍人の盲従は、未だ以って彼等の道心欠乏を証するに足らずと。果して然る乎。 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・曰く、 道心のおこりは花のつぼむ時 立派なものだ。もっともな句である。しかし、ちっとも面白くない。先日、或る中年のまじめな男が、私に自作の俳句を見せて、その中に「月清し、いたづら者の鏡かな」というのがあって、それには「法の心を」・・・ 太宰治 「天狗」
・・・僧心敬が「ただ数奇と道心と閑人との三のみ大切の好士なるべくや」と言ったというが、芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したも・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・けれどもそれが道心を沈滞せしめて向下堕落の傾向を助長する結果を生ずるならばそれは作家か読者かどっちかが悪いので、不善挑撥もまたけっしてこの種の文学の主意でない事は論理的に証明できるのである。したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫