・・・現在の門は東向きであるが、昔は北に向い、道端からはずっと奥深い処にあったように思われるが、しかしこの記憶も今は甚だおぼろである。その頃お酉様の鳥居前へ出るには、大音寺前の辻を南に曲って行ったような気がする。辻を曲ると、道の片側には小家のつづ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・小笹に蔽われた道端に、幹の裂けた桜の老樹が二、三株ずつ離れ離れに立っている。わたくしが或日偶然六阿弥陀詣の旧道の一部に行当って、たしかにそれと心付いたのは、この枯れかかった桜の樹齢を考えた後、静に曾遊の記憶を呼返した故であった。 江北橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 小笹と枯芒の繁った道端に、生垣を囲した茅葺の農家と、近頃建てたらしい二軒つづきの平家の貸家があった。わたくしはこんな淋しいところに家を建てても借りる人があるか知らと、何心なく見返る途端、格子戸をあけてショオルを肩に掛けながら外へ出た女・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 天神橋を渡ると道端に例の張子細工が何百となくぶら下って居る。大きな亀が盃をくわえた首をふらふらと絶えず振って居る処は最も善く春に適した感じだ。 天神の裏門を境内に這入ってそこの茶店に休んだ。折あしく池の泥を浚えて居る処で、池は水の・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・白壁があったら楽書するものときまって居る。道端や公園の花は折り取るものにきまって居る。もし巡査が居なければ公園に花の咲く木は絶えてしまうだろう。殊に死人の墓にまで来て花や盛物を盗む。盗んでも彼らは不徳義とも思やせぬ。むしろ正当のように思って・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 家の女や子供たちが昨日疎開して、家のぐるりは森閑とし空がひろびろと感じられる。 古雑誌のちぎれを何心なくとり上げたら、普仏戦争でパリの籠城のはじまった頃のゴンクールの日記があった。 道端で籠を下げた物うりが妙な貝を売っている。・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・素通り出来ないような型の車を道端に乗りすてたミスター・ウィリアムズの不幸でジョンソンはそのオウバアンに乗っかった。はしった。大いに冒険心と快適な娯楽心とを満足させ夜更けてから元の門近くまで戻って来たところで腕を捕まえられた。が、オウバアン一・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・汽車で上野に着いて、人力車を倩って団子坂へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵を敷いて、球根からすぐに紫の花の咲いた草を列べて売っているのを見た。子供から半老人になるまでの間に、サフランに対する智識は余り進んでは・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・汀には去年見たときのように、枯れ葦が縦横に乱れているが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くので・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・少し目の慣れるまで、歩き艱んだ夕闇の田圃道には、道端の草の蔭でこおろぎが微かに鳴き出していた。 * * * 二三日立ってから蔀君に逢ったので、「あれからどうしました」と僕が聞いたら、蔀君がこう云った。・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫