・・・ ――松島の道では、鼓草をつむ道草をも、溝を跨いで越えたと思う。ここの水は、牡丹の叢のうしろを流れて、山の根に添って荒れた麦畑の前を行き、一方は、角ぐむ蘆、茅の芽の漂う水田であった。 道を挟んで、牡丹と相向う処に、亜鉛と柿の継はぎな・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 婦は、水ぎわに立停まると、洗濯盥――盥には道草に手打ったらしい、嫁菜が一束挿してあった――それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりを除けて来て、且つ汗ばんだらしい、姉さん被りの手拭を取って、額よりは頸脚を軽く拭い・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・謂わば道草であった。いまだにこの老人のひしがれた胸をとくとく打ち鳴らし、そのこけた頬をあからめさせるのは、酔いどれることと、ちがった女を眺めながらあくなき空想をめぐらすことと、二つであった。いや、その二つの思い出である。ひしがれた胸、こけた・・・ 太宰治 「逆行」
・・・母親が待っていると、一太は行った先で遊んでいることも出来なかったし、道草も食えなかった。萬世軒の表にいる猿もおちおち見物していられなかった。それに何だか窮屈だ。――母親のツメオが随分永く歩く間余り口をきいてくれず、笑いもしなかったからだ。―・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・の美禰子と三四郎との感情交錯を経て「道草」の健三とその妻との内的いきさつに進むと、漱石の態度は女は度し難いと男の知的優越に立って揶揄しているどころではなくなって来ている。「行人」の一郎が妻の心の本体をわがものとして知りたいと焦慮する苦しみは・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・当時はまだ『道草』も書かれておらず、いわんや夫人の『漱石の思い出』などは想像もできなかったころであるから、漱石と夫人との間のいざこざなどは、全然念頭になかった。『吾輩は猫である』のなかに描かれている苦沙弥先生夫妻の間柄は、決して陰惨な印象を・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・次の『道草』においても利己主義は自己の問題として愛との対決を迫られている。この作で特に目につくのは、主人公の我がいかに頑固に骨に食い入っているかをその生い立ちによって明らかにしたこと、夫や妻やその他の人々の利己主義を平等に憎んでいること、そ・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫