・・・そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家に来られたことがあるが、「一カ月ぶりで他家を訪ねた」と言われた。その頃は多分痔を療治してい・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・私は人の富や名声に対しては嘗つて畏敬の念を抱いた事は無いが、どういうわけか武術の達人に対してだけは、非常に緊張するのである。自分が人一倍、非力の懦弱者であるせいかも知れない。私は小坂氏一族に対して、ひそかに尊敬をあらたにしたのである。油断は・・・ 太宰治 「佳日」
・・・二、三の評論家に嘘の神様、道化の達人と、あるいはまともの尊敬を以て、あるいは軽い戯れの心を以て呼ばれていた、作家、笠井一の絶筆は、なんと、履歴書の下書であった。私の眼に狂いはない。かれの生涯の念願は、「人らしい人になりたい」という一事であっ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・と言われたら、志賀直哉ほどの達人でも、ちょっと躊躇するにちがいない。出来のいい子は、出来のいい子で可愛いし、出来の悪い子は、いっそう又かなしく可愛い。その間の機微を、あやまたず人に言い伝えるのは、至難である。それをまた、無理に語らせようとす・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・おのずから忠直卿の物語など思い出され、或る夜ふと、忠直卿も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。・・・ 太宰治 「水仙」
・・・て、例外なしにずば抜けて強かった、しかも決してそれを誇示しない、君は剣道二段だそうで、酒を飲むたびに僕に腕角力をいどむ癖があるけれども、あれは実にみっともない、あんな偉人なんて、あるものじゃない、名人達人というものは、たいてい非力の相をして・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・武術の達人には落ちつきがある。この落ちつきがなければ、男子はどんな仕事もやり了せる事が出来ない。伊藤博文だって、ただの才子じゃないのですよ。いくたびも剣の下をくぐって来ている。智慧のかたまりのように言われている勝海舟だって同じ事です。武術に・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・そうした例としては『諸国咄』中の水泳の達人の話、蚤虱の曲芸の話、また「力なしの大仏」の色々の条項を挙げることが出来る。『桜陰比事』の「四つ五器かさねての御意」などもそうした例であると同時に、西鶴の実証主義を暗示するものと見られる。 彼の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・武芸の達人が夜半の途上で後ろから突然切りかけられてもひらりと身をかわすことができる、それと同じような心の態度を保つことができなくては、瞬時の間に現われて消えるような機微の現象を発見することは不可能である。それには心に私がなく、言わば「心の手・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
出典:青空文庫