・・・おげんが娘や甥を連れてそこへ来たのは自分の養生のためとは言え、普通の患者が病室に泊まったようにも自分を思っていなかったというのは、一つはおげんの亡くなった旦那がまだ達者でさかりの頃に少年の蜂谷を引取って、書生として世話したという縁故があった・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「おばさんもお達者で。」うしろでは、まだ挨拶していた。嘉七はくるり廻れ右して、「おばさん、握手。」 手をつよく握られて老妻の顔には、気まり悪さと、それから恐怖の色まであらわれていた。「酔ってるのよ。」かず枝は傍から註釈した。・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・妹婿は日曜などにはよく家内連れで方々へ遊びに出た。達者で居たら今日あたりはきっと団子坂へでも行っているだろうと思う。妹は平一が日曜でも家に籠って読書しているのを見て、兄さんはどうしてそう出嫌いだろう、子供だってあるではなし、姉さんにも時々は・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・常磐津のうまい若い子や、腕達者な年増芸者などが、そこに現われた。表二階にも誰か一組客があって、芸者たちの出入りする姿が、簾戸ごしに見られた。お絹もそこへ来て、万事の話がはずんでいた。 道太がやや疲労を感じたころには、静かなこの廓にも太鼓・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・芸には達者な代り、全くの無筆である。稽古本で見馴れた仮名より外には何にも読めない明盲目である。この社会の人の持っている諸有る迷信と僻見と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召の縞柄を論ずるには委しいけれど、電車に乗って新しい・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・この通り足が達者でどこへでも歩いて行かれるじゃないか。足の達者なのは御意の通りである。足に任せて人の畠を荒らされては困ると云うのである。かの志士と云い、勇士と云い、智者と云い、善人と云われたるものもここにおいてかたちまちに浪人となり、暴士と・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父があって、その親父がまた慾ばりきったごうつくばりのえら者で、なかなか六十になっても七十になっても隠居なんかしないので、立派な一人前の後つぎを持ちながらまだ容易に財産を引き渡さぬ、そ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・勿論俳優の力量という制約があるが、あの大切な、謂わば製作者溝口の、人生に対する都会的なロマンチシズムの頂点の表現にあたって、あれ程単純に山路ふみ子の柄にはまった達者さだけを漲らしてしまわないでもよかった。おふみと芳太郎とが並んで懸合いをやる・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・のちに知行二百石の側役を勤め、算術が達者で用に立った。老年になってからは、君前で頭巾をかむったまま安座することを免されていた。当代に追腹を願っても許されぬので、六月十九日に小脇差を腹に突き立ててから願書を出して、とうとう許された。加藤安太夫・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫