・・・花道をかけて一条、皆、丘と丘との間の細道の趣なり。遠景一帯、伊豆の連山。画家 (一人、丘の上なる崕に咲ける山吹と、畠の菜の花の間高き処に、静にポケット・ウイスキーを傾けつつあり。――鶯遠く音を入る。二三度鶏の声。遠音に河鹿鳴く。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・の絵は前景がちょっと日本画の屏風絵のようであり遠景がいつもの石井さんの風景のような気がして、少しチグハグな変な気がする。「衛戍病院」はさし絵の味が勝っている。こういう画題をさし絵でなくするのはむつかしいものであろうとは思うがなんとかそこに機・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・それで、遠景の碧味がかった色を生ずるような塵はよほど小さなもので、普通の意味の顕微鏡的な塵よりも一層微細なものではないかと疑いが起る。 普通の顕微鏡では見えないほどの細かい塵の存在を確かめ、その数を算定するために、アイケンという人が発明・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・コバルトの空には玉子色の綿雲が流れて、遠景の広野の果の丘陵に紫の影を落す。森のはずれから近景へかけて石ころの多い小径がうねって出る処を橙色の服を着た豆大の人が長い棒を杖にし、前に五、六頭の牛羊を追うてトボトボ出て来る。近景には低い灌木がとこ・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・あたかも肉眼で遠景を見ると漠然としているが、一たび双眼鏡をかけると大きな尨大なものが奇麗に縮まって眸裡に印するようなものであります。そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずる所・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・其等の漠然とした遠景の裡から仄白く光って延びる道路に連れて目を動かすと、村で一番大きな旅舎の伊太利風のパゴラの赤い円屋根と、白い柱列とが瞳に写りますでしょう。レーク・ジョージでは此処一点が、あらゆる華奢と歓楽との焦点になって居るのでございま・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・婦人雑誌の表紙や口絵が、働く女を様々に描いてのせる風潮だが、その内容は軍事美談や隣組物語のほかは大体やっぱり毛糸編物、つくろいもの、家庭療治の紹介などで、たとえば十一月の婦女界が、表紙に工場の遠景と婦人労働者の肖像をつけていて内容はというと・・・ 宮本百合子 「働く婦人」
・・・夕方、スムールイが巨大な体をハッチに据えて、ゆるやかに流れ去って行くヴォルガの遠景を憂わしげに眺めながら、何時間も何時間も黙って坐っているような時があった。こういう時の、スムールイを皆が特別に怖れた。 禿頭の料理番が出て来て、そうやって・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・とりのこされた綿の実が、白く見える耕地からゆるやかな起伏をもって延びて居る、色彩の多い遠景、近くに見ると、色絨壇のような樹々の色も、遠くなるにつれて、混合した、一種の雑色となって、澄んだ空の下に横わって居る。 赤や茶や黄や、緑や、其等の・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
・・・白い布で頭をくるみ、作業服に白いカラーを見せ、優しくしっかりした横顔を見せている遠景には、何か工具らしいものが覗いている。女子の能力は男子の七十パーセント以上である、近代重工業にもふさわしい、と云われて、女子の技術補導所があちこちにつくられ・・・ 宮本百合子 「郵便切手」
出典:青空文庫