・・・など、とり止めもない遠足の途中のいたずら書きらしいものもある。 亮のかいた絵に私が題句をかいたり、亮の句に私が生意気な評のようなものをかいたりしたのもある。私はそのころ熊本で夏目先生に句を見てもらっていた。そして帰省すると甥に句を作らせ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・子供の時分遠足に行ったことがあるんで、一度行ってみようと思いながら、いつもどこへも行かずに帰ってしまうんだ。まだ山代さえ知らないくらいだ」 それから遊び場所の選択や、交通の便なぞについて話しているうちに時が移っていった。山嵐のような風が・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・わたくしは既に十七歳になっていたが、その頃の中学生は今日とはちがって、日帰りの遠足より外滅多に汽車に乗ることもないので、小田原へ来たのも無論この日が始めてであった。家を離れて一人病院の一室に夢を見るのもまた始めてである。東京の家に帰ったのは・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるように食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく減ずると思う。殊に愉快に食べたものならば実際消化・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 遠足をやるにしても、遠足の実行委員があげられ、行先、時間割、見学予定、旅費その他を研究する。級の討議で決定する。――ソヴェト同盟で教師は、ほんとに指導者なのだ。 このように有効に組織されている小学校へ、全同盟の学齢児童を経費国庫負・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・等と銘し、室生犀星氏が悪党の世界へ想念と趣向の遠足を試みている小説等とともに、痛い歯の根を押して見るような痛痒さの病的な味を、読者に迎えられたのであった。 石坂洋次郎氏の「麦死なず」という小説が、左翼運動への無理解や自己解剖を巧に作中人・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・子供達が遠足に行ったとする。そうすると河があって、どうしてもその河を横切らなければ、停車場へ行って汽車に乗って帰ることが出来ないのに船が一つもない。見渡したところ橋もない。だけれども汽車の時間は切迫する。子供はどうしよう。そこで皆んなが智慧・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・そんな会話が、あるいは上級生の間にあるだろう。遠足か何かにゆくように、ねえ母さん、誰さんも、誰さんも、ゆくのよ、いいでしょう? ねえ。そういわれた母親たちは、それじゃあまア、すこし勤めて見て工合がわるいようだったらすぐにやめればいいから、勤・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・一年生の遠足でもあるのをそこで待ちあわせている姉や母たちというその場の空気である。牧子は、「大分お集りだこと……」 小声になって、自分と子供はひろ子からはなれるようにした。「わたしは、ただあなたにお目にかかりたくて来たんですから・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・あの男、こないだの遠足の明細書をまだまだ学級経済委員へ出さないのよ。 ――ふーむ。お前注意してやれ。 マトリョーナは黙ってたが、いきなり、ジャガ薯を頬ばりながら、 ――全く我々の親たちは無自覚だ!とうなった。今度はワーニカが・・・ 宮本百合子 「ワーニカとターニャ」
出典:青空文庫