・・・可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。 レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。 クサ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ もう、一度、今度は両手に両側の蘆を取って、ぶら下るようにして、橋の片端を拍子に掛けて、トンと遣る、キイと鳴る、トントン、きりりと鳴く。 紅の綱で曳く、玉の轆轤が、黄金の井の底に響く音。「ああ、橋板が、きしむんだ。削・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・みんな嫁さんに遣るんだぜ。」 とくるりと、はり板に並んで向をかえ、縁側に手を支いて、納戸の方を覗きながら、「やあ、寝てやがら、姉様、己が嫁さんは寝ねかな。」「ああ、今しがた昼寝をしたの。」「人情がないぜ、なあ、己が旨いものを・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「大丈夫、いなかでは遣る事さ。ものなりのいいように、生れ生れ茄子のまじないだよ。」「でも、畑のまた下道には、古い穀倉があるし、狐か、狸か。」「そんな事は決してない。考えているうちに、私にはよく分った。雨続きだし、石段が辷るだの、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・「マアあの二人を山の畑へ遣るッて、親というものよッぽどお目出たいものだ」 奥底のないお増と意地曲りの嫂とは口を揃えてそう云ったに違いない。僕等二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、この場合二人で山畑へゆくとなっては、人に顔・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・しかしこの場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱して遣るとかいう事は、どうしてもして遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして、時の立つのを待って・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、一方には、やるせなき思いを遣るために、デカダンの色彩濃厚なる芸術が現われるような気さえする。 けれど、決して、それのみでない。勇敢に清新な人間的の理想に燃える芸術が、百難を排して尚お興起するのを否むことができない。また、そうなく・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・朝ごはんの前に使いに遣ると、使いが早いというのです。その代り使いから帰ると食べすぎるというので、香の物は恐しくまずく漬けてある。香の物がまずいと、お粥も食べすぎないだろうという心の配り方です。しかし、これはその家だけの習慣ではなく、あとであ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と、赤い顔する細君の前へ押遣るのであった。(何処からか、救いのお使者がありそうなものだ。自分は大した贅沢な生活を望んで居るのではない、大した欲望を抱いて居るのではない、月に三十五円もあれば自分等家族五人が饑彼にはよくこんなことが空想されたが・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・軽蔑と冷嘲の微笑を浮べて黙って彼の新生活の計画というものを聴いていたが、結局、「それでは仕度をさせて一両日中に遣ることにしましょう」と言うほかなかった。今度だけは娘の意志に任せるほかあるまいと諦めていたのだ。四「俺の避難所は・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫