・・・ 運命 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僣越である。 嘲けるもの 他を嘲るものは同時に又他に嘲られることを恐れるもので・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。 破壊後の生活は、総ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。 自分は一日大道を闊歩しつつ、突然とし・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ しかるに主人の口からは言いませんが、主人の妹、すなわちきょうだいの母親というも、普通から見るとよほど抜けている人で、二人の子供の白痴の原因は、父の大酒にもよるでしょうが、母の遺伝にも因ることは私はすぐ看破しました。 白痴教育という・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・女性は恋愛によって自分の産む子に遺伝し、感染させたいような諸特徴を持った男性を選ぶのである。この選択が無意識的になされるところに恋愛という本能のはたらきがあるのだ。しかしそれだからといって恋愛を母となるための手段と見るのはたりない。花は実を・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・人びとの遺伝の素質や四囲の境遇の異なるのにしたがって、その年齢は一定しないが、とにかく一度、健康・知識が旺盛の絶頂に達する時代がある。換言すれば、いわゆる、「働きざかり」の時代がある。故に、道徳・知識のようなものにいたっては、ずいぶん高齢に・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 蓋し人が老いて益々壯んなのは寧ろ例外で、或る齢を過ぎれば心身倶に衰えて行くのみである、人々の遺伝の素質や四囲の境遇の異なるに従って、其年齢は一定しないが、兎に角一度健康・精力が旺盛の絶頂に達するの時代がある、換言すれば所謂「働き盛り」・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・これは遺伝である。そこで目差す女が平凡な容貌でないことは、言うまでもない。女は女優である。遊んだり、人のおもちゃになったりしていずに、少し稽古でもしたら、立派な俳優になった女かも知れない。どうかして舞台で旨い事をしたのを、劇評家が見て、あれ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 人間の具体的な個々の記憶や経験はそのままに遺伝するものではないだろうが、それらを煎じつめた機微なある物が遺伝しているので、そのためにこのような心持ちを起こさせるのではあるまいか。漱石先生の「趣味の遺伝」はまさにこういう点に触れたものの・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 自分の子供たちのうちにも、古い小さい時分の出来事をその時に食った食物と連想して記憶しているという傾向の著しく見えるのがいる、どうも親爺の遺伝らしいということになっているのである。 近ごろ、夕飯の食卓で子供らと昔話をしていたとき、か・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・それでたとえばわれらの祖先のある時代に芋虫や毛虫を食ってひどい目に会ったという経験が蓄積しそれが遺伝した結果ではないかという気もするが、そうした経験の記憶が遺伝しうるものかどうか自分は知らない。ただそんなことでも考えなければちょっと他に説明・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫