・・・毎日新聞社は南風競わずして城を明渡さなくてはならなくなっても安い月給を甘んじて悪銭苦闘を続けて来た社員に一言の挨拶もなく解散するというは嚶鳴社以来の伝統の遺風からいっても許しがたい事だし、自分の物だからといって多年辛苦を侶にした社員をスッポ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・千金丹を売るものが必手に革包を提げ蝙蝠傘をひらいて歩いたのは明治初年の遺風であろう。日露戦争の後から大正四五年の頃まで市中到処に軍人風の装をなし手風琴を引きならして薬を売り歩くものがあった。浅井忠の板下を描いた当世風俗五十番歌合というものに・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入浴の男を捉えて戯れた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。 ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・畢竟するに其親愛が虚偽にもせよ、男子が世にもあられぬ獣行を働きながら、婦人をして柔和忍辱の此頂上にまで至らしめたるは、上古蛮勇時代の遺風、殊に女大学の教訓その頂上に達したるの結果に外ならず。即ち累世の婦人が自から結婚契約の権利を忘れ、仮初に・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・どうもそんなしんこ細工のようなことをするというのは、この世界がまだなめくじでできていたころの遺風だ。一寸視察に出よう。事によると禁止をしなければなるまい。」 そこでネネムは、部下の検事を随えて、今日もまちへ出ました。そして検事の案内で、・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・文化関係で、ラジオの民主化のための放送委員会、軍国主義の出版統制の遺風を民主化するための用紙割当委員会、出版文化委員会、教育の民主化、成人教育のための社会教育委員会、そのほか一九四六年から次の年の春までぐらいにつくられた委員会の多くは、正直・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・ 考えてみれば、女性の問題といえば先ずその性にばかり重点をおく風習は、一つの封建遺風ではなかろうか。 婦人参政に関しても、道義というものは当然あるわけだ。それがすたれ、或は穢されるということのあり得る事実も明白である。 進歩党は・・・ 宮本百合子 「人間の道義」
・・・「婦人をして柔和忍辱の此頂上にまで至らしめたるは上古蛮勇時代の遺風、殊に女大学の教訓その頂上に達したるの結果に外ならず」夫婦の生活で夫が妻を扶養するのは当然の義務だのに、妻たるものがわずかの美衣美食に飼い馴らされて人としての権利さえ自分から・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・ ヨーロッパで、自然主義の持った役割は非常に大きく、過去のヨーロッパ文化がその宗教的な伝統、騎士道の遺風、植民地政策の結果から生じた女性尊重と精神的愛の誇張から生まれている男女の性生活の偽善を打ち破る力があった。文芸思潮として日本へ入っ・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
出典:青空文庫