・・・そうすれば己の良心は、たとえあの女を弄んだにしても、まだそう云う義憤の後に、避難する事が出来たかも知れない。が、己にはどうしても、そうする余裕が作れなかった。まるで己の心もちを見透しでもしたように、急に表情を変えたあの女が、じっと己の目を見・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・そこで本間さんは已むを得ず、立った後の空地へ制帽を置いて、一つ前に連結してある食堂車の中へ避難した。 食堂車の中はがらんとして、客はたった一人しかいない。本間さんはそれから一番遠いテエブルへ行って、白葡萄酒を一杯云いつけた。実は酒を飲み・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・…… 姉は三人の子供たちと一しょに露地の奥のバラックに避難していた。褐色の紙を貼ったバラックの中は外よりも寒いくらいだった。僕等は火鉢に手をかざしながら、いろいろのことを話し合った。体の逞しい姉の夫は人一倍痩せ細った僕を本能的に軽蔑して・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・そうしてそれをおわったのはちょうど正午であった。避難民諸君は、もうそろそろ帰りはじめる。中にはていねいにお礼を言いに来る人さえあった。 多大の満足と多少の疲労とを持って、僕たちが何日かを忙しい中に暮らした事務室を去った時、窓から首を出し・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ 学校は、便宜に隊を組んで避難したが、皆ちりちりになったのである。 と見ると、恍惚した美しい顔を仰向けて、枝からばらばらと降懸る火の粉を、霰は五合と掬うように、綺麗な袂で受けながら、「先生、沢山に茱萸が。」 と云って、ろうた・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・水は少しずつ増しているけれど、牛の足へもまだ水はつかなかった。避難の二席にもまだ五、六寸の余裕はあった。新聞紙は諸方面の水害と今後の警戒すべきを特報したけれど、天気になったという事が、非常にわれらを気強く思わせる。よし河の水が増して来たとこ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・今日 復員列車といおうか、買い出し列車といおうか、汽車は震災当時の避難列車を思わせるような混み方であった。 一本の足を一寸動かすだけでも、一日の配給量の半分のカロリーが消耗されるくらいの努力が要り、便所へも行けず、窓以外・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 武田さんはやがて罹災した。避難先は新聞社にきいてもわからなかった。例によって行方をくらましたなという感じだった。「あの人は大丈夫だ。罹災でへこたれるような人じゃない。不死身だ」 私は再びそう言った。 四月一日の朝刊を見ると・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 避難列車の中でろくろく物も言わなかった。やっと梅田の駅に着くと、真すぐ上塩町の種吉の家へ行った。途々、電信柱に関東大震災の号外が生々しく貼られていた。 西日の当るところで天婦羅を揚げていた種吉は二人の姿を見ると、吃驚してしばら・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・四「俺の避難所はプアだけれど安全なものだ。俺も今こそかの芸術の仮面家どもを千里の遠くに唾棄して、安んじて生命の尊く、人類の運命の大きくして悲しきを想うことができる……」 寝間の粗壁を切抜いて形ばかりの明り取りをつけ、藁と・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫