・・・ 陸軍主計の軍服を着た牧野は、邪慳に犬を足蹴にした。犬は彼が座敷へ通ると、白い背中の毛を逆立てながら、無性に吠え立て始めたのだった。「お前の犬好きにも呆れるぜ。」 晩酌の膳についてからも、牧野はまだ忌々しそうに、じろじろ犬を眺め・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・すると少将は蒼い顔をしたまま、邪慳にその手を刎ねのけたではないか? 女は浜べに倒れたが、それぎり二度と乗ろうともせぬ。ただおいおい泣くばかりじゃ。おれはあの一瞬間、康頼にも負けぬ大嗔恚を起した。少将は人畜生じゃ。康頼もそれを見ているのは、仏・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・か何か読んでいたが、まだ一頁と行かない内に、どう云う訳かその書物にたちまち愛想をつかしたごとく、邪慳に畳の上へ抛り出してしまった。と思うと今度は横坐りに坐ったまま、机の上に頬杖をついて、壁の上のウイル――べエトオフェンの肖像を冷淡にぼんやり・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・が、こちらは元より酒の上で、麦藁帽子を阿弥陀にかぶったまま、邪慳にお敏を見下しながら、「ええ、阿母さんは御在宅ですか。手前少々見て頂きたい事があって、上ったんですが、――御覧下さいますか、いかがなもんでしょう。御取次。」と、白々しくずっきり・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ と優しき、されど邪慳を装える色なりけり。心なき高津の何をか興ずる。「ねえ、ミリヤアドさん、あんなものお飲ませだからですねえ。新さんが悪いんだよ。」「困るねえ、何も。」と予は面を背けぬ。ミリヤアドは笑止がり、「それでも、私は・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 障子を開けたままで覗いているのに、仔の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊の目へ嘴を入れたり、颯と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立ったり。そのたびに、笊の中の仔・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・お貞は襟を掻合せ、浴衣の上前を引張りながら、「それだから昨日も髪を結わない前に、あんなに芳さんにあやまったものを。邪慳じゃあないかね。可よ、旦那が何といっても、叱られても大事ないよ。私ゃすぐ引毀して、結直して見せようわね。」 お貞は・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・「主人も糸瓜もあるものか、吾は、何でも重隆様のいいつけ通りにきっと勤めりゃそれで可いのだ。お前様が何と謂ったって耳にも入れるものじゃねえ。」「邪険も大抵にするものだよ。お前あんまりじゃないかね。」 とお通は黒く艶かな瞳をもって老・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・あまり職掌を重んじて、苛酷だ、思い遣りがなさすぎると、評判の悪いのに頓着なく、すべ一本でも見免さない、アノ邪慳非道なところが、ばかにおれは気に入ってる。まず八円の価値はあるな。八円じゃ高くない、禄盗人とはいわれない、まことにりっぱな八円様だ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・身がかたまって、生命がけの願が叶って、容子の可い男を持った、お蔦はあやかりものだって、そう云ってね、お母さんがお墓の中から、貴方によろしく申しましたよ。邪険なようで、可愛がって、ほうり放しで、行届いて。早瀬 お蔦。お蔦 でも、偶には・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
出典:青空文庫