・・・蝌斗が畑の中を泳ぎ廻ったりした。郭公が森の中で淋しく啼いた。小豆を板の上に遠くでころがすような雨の音が朝から晩まで聞えて、それが小休むと湿気を含んだ風が木でも草でも萎ましそうに寒く吹いた。 ある日農場主が函館から来て集会所で寄合うという・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・、万事贅沢安楽に旅行の出来るようになった代りには、芭蕉翁や西行法師なんかも、停車場で見送りの人々や出迎えの人々に、芭蕉翁万歳というようなことを云われるような理屈になって仕舞って、「野を横に汽車引むけよ郭公」とも云われない始末で、旅行に興味を・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・ 宿に落着いてから子供等と裏の山をあるいていると、鶯が鳴き郭公が呼ぶ。落葉松の林中には蝉時雨が降り、道端には草藤、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺やぐみに似た赤いものが実っている、沢へ下りると細流にウォータークレスのよう・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ この頃では夏が来るとしきりに信州の高原が恋しくなる。郭公や時鳥が自分を呼んでいるような気がする。今年も植物図鑑を携えて野の草に親しみたいと思っている。 寺田寅彦 「海水浴」
・・・この鳴き声がいったい何事を意味するかが疑問である。郭公の場合には明らかに雌を呼ぶためだと解釈されているようであるが、ほととぎすの場合でもはたして同様であるか、どうかは疑わしい。前者は静止して鳴くらしいのに後者は多くの場合には飛びながら鳴くの・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・五月闇おぼつかなきに郭公 山の奥より鳴きていづなり この歌調には、何か切なものがある。五月闇おぼつかなき山の奥から鳴いて出づる郭公と共に止み難い何ものかの力を同感しているように思われる。作者は傍観せず、鎌倉の山の木立深・・・ 宮本百合子 「新緑」
・・・つけたる珍品に相違なければ大切と心得候事当然なり、総て功利の念を以て物を視候わば、世の中に尊き物は無くなるべし、ましてやその方が持ち帰り候伽羅は早速焚き試み候に、希代の名木なれば「聞く度に珍らしければ郭公いつも初音の心地こそすれ」と申す古歌・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・けたる珍品に相違なければ、大切と心得候事当然なり、総て功利の念をもて物を視候わば、世の中に尊き物は無くなるべし、ましてやその方が持帰り候伽羅は早速焚き試み候に、希代の名木なれば、「聞く度に珍らしければ郭公いつも初音の心地こそすれ」と申す古歌・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・蓮華草の田がすき返され、塀の外田に蛙が鳴き、米倉の屋根に雀が巣くう、というような情景もそうであるが、やがて郭公の来鳴くころに、弟と笹の葉とりに山に行き粽つくりし土産物ばなしここへ来る一里あまりの田のへりを近路といへばまた帰り行く・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫