・・・して親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたることなく、一見甚だ美なるに似たれども、気の毒なるは主人公の身持不行儀にして婬行を恣にし、内に妾を飼い外に賤業婦を弄ぶのみか、此男は某地方出身の者にて、郷里に正当の妻を遺し、東京に来りて更らに・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・故に世上有志の士君子が、その郷里の事態を憂てこれが処置を工夫するときに当り、この小冊子もまた、或は考案の一助たるべし。一、旧藩地に私立の学校を設るは余輩の多年企望するところにして、すでに中津にも旧知事の分禄と旧官員の周旋とによりて一校を・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・自分らの郷里では春になると男とも女とも言わず郊外へ出て土筆を取ることを非常の楽しみとして居る習慣がある。この土筆は勿論煮てくうのであるから、東京辺の嫁菜摘みも同じような趣きではあるが、実際はそれにもまして、土筆を摘むという事その事が非常に愉・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・「お前、郷里はどこだ。」農夫長は石炭凾にこしかけて両手を火にあぶりながら今朝来た赤シャツにたずねました。「福島です。」「前はどこに居たね。」「六原に居りました。」「どうして向うをやめたんだい。」「一ぺん郷国へ帰りまし・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・実は本年は不思議に実業志望が多ございまして、十三人の卒業生中、十二人まで郷里に帰って勤労に従事いたして居ります。ただ一人だけ大谷地大学校の入学試験を受けまして、それがいかにもうまく通りましたので、へい。」 全く私の予想通りでした。 ・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ ○今度の朝鮮人の陰謀は実に範囲広く、山村の郷里信州の小諸の方にも郡山にも、毒薬その他をもった鮮人が発見されたとのことだ。 九月二十四五日より大杉栄ほか二名が、甘粕大尉に殺された話やかましく新聞に現れた。福田戒厳令司令官が山・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・学資欠乏し、郷里の大塚氏より十ヵ月間恩借。 一九一五年。大学卒業。井上正夫を浅草に出演せしむる橋渡しをする。同一座の作者となったが、二月目に意見の衝突をして飛び出し、その暮、秋月、川上、喜多村一座の作者となり、舞台監督をやる。 一九・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・と評判する郷里の人たちも、痘痕があって、片目で、背の低い男ぶりを見ては、「仲平さんは不男だ」と蔭言を言わずにはおかぬからである。 滄洲翁は江戸までも修業に出た苦労人である。倅仲平が学問修行も一通り出来て、来年は三十になろうという年に・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・「お郷里はどちらです。」「A県です。」 ぱっと笑う。「僕の家内もそちらには近い方ですよ。」「どちらです。」と栖方は訊ねた。 T市だと梶が答えると、それではY温泉の松屋を知っているかとまた栖方は訊ねた。知っているばかり・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ その藤村が自分の家を建てたいと考え始めたのは、たぶん長男の楠雄さんのために郷里で家を買ったころからであろう。「そういう自分は未だに飯倉の借家住居で、四畳半の書斎でも事はたりると思いながら自分の子のために永住の家を建てようとすることは、・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫