・・・ この淡島堂のお堂守時代が椿岳本来の面目を思う存分に発揮したので、奇名が忽ち都下に喧伝した。当時朝から晩まで代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでばかりいた。大河内子爵の先代や下岡蓮杖や仮名垣魯文・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 津島修治は、東京都下の或る町の役場に勤めていた。戸籍係りである。年齢は、三十歳。いつも、にこにこしている。美男子ではないが血色もよく、謂わば陽性の顔である。津島さんと話をしておれば苦労を忘れると、配給係りの老嬢が言った事があるそうだ。・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・東京都下三鷹町。甲府水門町。甲府新柳町。津軽。 忘れているところもあるかも知れないが、これだけでも既に二十五回の転居である。いや、二十五回の破産である。私は、一年に二回ずつ破産してはまた出発し直して生きて来ていたわけである。そうしてこれ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・これは実に愉快な読み物であったが、さすがにこのごろはそういうのは、少なくも都下の新聞にはまれなようである。しかし、本質的にはこれと同様な記事は今でも日々の新聞に捜せばいくらでも発見されるのである。 ある役所で地方技術官の集合があって、そ・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ こんな実験をやっている矢先に都下の有力な新聞で旬刊が発行されるようになった。私の思考実験の一半はすでに現実化されたようでもあるが、残る半分すなわち日刊の廃止という事はちょっと実現される蓋然性が乏しい。 しかし旬刊週刊等の発行によっ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ 上野の桜は都下の桜花の中最早く花をつけるものだと言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖佳話について見るに、「東台ノ一山処トシテ桜樹ナラザルハ無シ。其ノ単弁淡紅ニシテ彼岸桜ト称スル者最多シ。古又・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 荒川放水路は明治四十三年の八月、都下に未曾有の水害があったため、初めて計画せられたものであろう。しかしその工事がいつ頃起され、またいつ頃終ったか、わたくしはこれを詳にしない。 大正三年秋の彼岸に、わたくしは久しく廃していた六阿弥陀・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
木村項の発見者木村博士の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・ 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。 夏目漱石 「初秋の一日」
出典:青空文庫