・・・この港はかつて騎馬にて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上煙り罩めて浪もおだやかならず、夜の闇きもたよりあしければ、船に留まることとして上陸せず。都鳥に似たる「ごめ」という水禽のみ、黒み行く浪の上に・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・その隣に楽焼の都鳥など売る店あり。これに続く茶店二、三。前に夕顔棚ありて下に酒酌む自転車乗りの一隊、見るから殺風景なり。その前は一面の秋草原。芒の蓬々たるあれば萩の道に溢れんとする、さては芙蓉の白き紅なる、紫苑、女郎花、藤袴、釣鐘花、虎の尾・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・側は漂渺たる隅田の川水青うして白帆に風を孕み波に眠れる都鳥の艪楫に夢を破られて飛び立つ羽音も物たるげなり。待乳山の森浅草寺の塔の影いづれか春の景色ならざる。実に帝都第一の眺めなり。懸茶屋には絹被の芋慈姑の串団子を陳ね栄螺の壼焼などをも鬻ぐ。・・・ 永井荷風 「向嶋」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・「――元よくこの辺翔んでいた――都鳥でしたっけか、白い大っきい鳥――ちっともいなくなっちゃいましたね、震災からでしょうか」 区画整理が始まって、駒形通りは工場裏のように雑然としている。「無くなっちゃったかな――この模様じゃあぶな・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ いいかげんに稽古をしまって母親はしのび足に二階にのぼってすきまから目だけでのぞくと筋がぬけたようなかたちをして手すりに頭をおっつけて午後のキラキラした川面をとんで居る都鳥の姿をなつかしそうに見て居た。「キットなきつかれたんだよかわ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫