・・・のみならず、酒宴の半ばへ牡丹餅は可笑しい。が、すねたのでも、諷したのでも何でもない、かのおんなの性格の自然に出でた趣向であった。 ……ここに、信也氏のために、きつけの水を汲むべく、屋根の雪の天水桶を志して、環海ビルジングを上りつつある、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・中洲の島で、納涼ながら酒宴をする時、母屋から料理を運ぶ通船である。 玉野さえ興に乗ったらしく、「お嬢様、船を少し廻しますわ。」「だって、こんな池で助船でも呼んでみたが可い、飛んだお笑い草で末代までの恥辱じゃあないか、あれお止しよ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・浅間の社で、釜で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所に日南ぼっこをする婆さんに、阿部川の川原で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰もので、花の酒宴をする、と言うのを聞いた。――阿部川の道を訊ねたについてである。――都路の唄につけても、此処を府中と・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリカラカッポウ大陽気だったので、必定お客を呼んでの大酒宴の真最中と、暫らく戸外に佇立って躊躇していたが、どうもそうらしくもないので、やがて玄関に音なうと、ピッタリ三味・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・あんな豪華な酒宴は無かった。一人が一升瓶一本ずつを擁して、それぞれ手酌で、大きいコップでぐいぐいと飲むのである。さかなも、大どんぶりに山盛りである。二十人ちかい常連は、それぞれ世に名も高い、といっても決して誇張でないくらいの、それこそ歴史的・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかか・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 凧揚げのあとは酒宴である。それはほんとうにバッカスの酒宴で、酒は泉とあふれ、肉は林とうずたかく、その間をパンの群れがニンフの群れを追い回すのである。 豪家に生まれた子供が女であったために、ひどく失望した若い者らは、大きな羽子板へ凧・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・知らぬ人が見たら祝いの酒宴とも見えるだろう。しかし病めるこの家の主婦は前夜に死んだのである。いまわと云う時に、死んだ娘の名を呼んだとも云う。 養子に離れ、娘にも妻にも取り残されて、今は形影相弔するばかりの主人は、他所目には一向悲しそうに・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・騒々しい、殺風景な酒宴になんの心残りがあって帰りそこなったのか。帰りたい、今からでも帰りたいと便所の口の縁へ立ったまま南天の枝にかかっている紙のてるてる坊さんに祈るように思う。雨の日の黄昏は知らぬまに忍び足で軒に迫ってはや灯ともしごろのわび・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
出典:青空文庫