・・・ 醜いほど大きな足をそこへ投出しながら、言って見た。 仙台で出来た同僚の友達は広瀬川の岸の方で比佐を待つ時だった。漸く貧しいものに願いが叶った。初めて白足袋を穿いて見た。それに軽い新しい麻裏草履をも穿いた。彼は足に力を入れて、往来の・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・代松博士の著書などで研究いたしましたところに依れば、いまから二百年ばかり前に独逸の南の方で、これまで見た事も無い奇妙な形の化石が出まして、或るそそっかしい学者が、これこそは人間の骨だ、人間は昔、こんな醜い姿をして這って歩いていたのだ、恥を知・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・この男は若い女なら、たいていな醜い顔にも、眼が好いとか、鼻が好いとか、色が白いとか、襟首が美しいとか、膝の肥り具合が好いとか、何かしらの美を発見して、それを見て楽しむのであるが、今乗った女は、さがしても、発見されるような美は一か所も持ってお・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・あひるが陸へ上がってよちよち歩くときの格好は、およそ醜い歩行の姿の典型として引き合いに出るくらいであるが、こうしてその固有のおるべき環境にいるときの自然の姿はこのようにも美しく典雅なものである。固有でない環境に置かれれば錦繍でもきたなく、あ・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・私は人がよく後指さして厭がる醜い傴僂や疥癬掻や、その手の真黒な事から足や身体中はさぞかしと推量されるように諸有る汚い人間、または面と向うと蒜や汗の鼻持ちならぬ悪臭を吹きかける人たちの事を想像するし、不具者や伝染病や病人の寝汗や、人間の身体の・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・とにかく三十も越えて男一人前に髭まで生えて居るような奴が、声をあげて止度もなしにあんあんと泣く、その泣面と来たらば醜いとも可笑しいとも言いようがないのである。ここに到って昔の我を顧みて見ると、甚だ意気地のない次第、一方から言えば甚だ色気のな・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 人間の社会には、いろいろの行きちがい、矛盾、醜いことがあるけれども、最後のところへゆけば、人間は道理に従って生きるものである、という、動かすことの出来ない天下の真理を、稚い心のうちに明るく、しっかりと植えつけてやらなければなりません。・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・今一つは、驚くべし、兄と自分とに渾名がついていて、醜い自分が猿と言われると同時に、兄までが猿引きと言われているということである。仲平はこの発明を胸に蔵めて、誰にも話さなかったが、その後は強いて兄と離れ離れに田畑へ往反しようとはしなかった。・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・彼が彼女を愛すれば愛するほど、彼の何よりも恐れ始めたことは、この新しい崇高優美なハプスブルグの娘に、彼の醜い腹の頑癬を見られることとなって来た。もし出来得ることであるならば、彼はこのとき、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの荘厳な肉体の価値・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・そして自分の人間と作物との内に多分の醜い affectation を認める。私はこれまで何ゆえにそれに気がつかなかったかを自分ながら不思議に、また腹立たしく思う。affectation が何であるか、それがどういう悪い根から生いでて来るか、・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫