・・・知らんとおったのが御飯を食べるとき醤油が染みてな」義母が峻にそう言った。「もっとぎうとお出し」姉は怒ってしまって、邪慳に掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが置てあって、箱の前には小さな塗膳があって其上に茶椀小皿などが三ツ四ツ伏せて有る其横に煤ぼった凉炉が有って凸凹した湯鑵がかけてある。凉炉と膳との蔭に土鍋・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・私の村には、労働者約五百人から、三十人ぐらいのごく小さいのにいたるまで大小二十余の醤油工場がある。三反か四反歩の、島特有の段々畠を耕作している農民もたくさんある。養鶏をしている者、養豚をしている者、鰯網をやっている者もある。複雑多岐でその生・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・ 主人は、醤油醸造場の門を入って来たところだった。砂糖倉は門を入ってすぐ右側にあった。頑丈な格子戸がそこについていた。主人は細かくて、やかましかった。醤油袋一枚、縄切れ五六尺でさえ、労働者が塵の中へ掃き込んだり、焼いたりしていると叱りつ・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・ 十五六になった頃、鰯網は、五六カ月働いて、やっと三四十円しか取れなかったので、父はそれをやめて、醤油屋の労働をすることになった。僕は、鰯網の「アミヒキ」もやった。それから、醤油屋の「ゴンゾ」にもなった。十九の秋だったか、二十の秋だった・・・ 黒島伝治 「自伝」
一 源作の息子が市の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・壁に醤油。茶わんと皿。私の身がわりになったのだ。これだけ、こわさなければ、私は生きて居れなかった。後悔なし。 月 日。 五尺七寸の毛むくじゃら。含羞のために死す。そんな文句を思い浮べ、ひとりでくすくす笑った。 月 日。・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・午後四時にはもう三代吉の父親の辰五郎が白米、薩摩芋、大根、茄子、醤油、砂糖など車に積んで持って来たので少し安心する事が出来た。しかしまたこの場合に、台所から一車もの食料品を持込むのはかなり気の引けることであった。 E君に青山の小宮君の留・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・昼食時に桂浜へ上がって、豆腐を二三丁買って来て醤油をかけてむしゃむしゃ食った。その豆腐が、たぶん井戸にでもつけてあったのであろう、歯にしみるほど冷たかった。炎天に舟をこぎ回って咽喉がかわいていたためか、その豆腐が実に涼しさのかたまりのように・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・というのと、巻はちがうが「月もわびしき醤油の粕」というのがある。この二度目の月と醤油との会合ははなはだ解決困難であるが、前の巻の初めに、史邦の「帷子」の発句と芭蕉の脇「籾一升を稲のこぎ賃」との次に岱水が付けた「蓼の穂に醤のかびをかき分けて」・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫