・・・今のうちに殺さなければ、どう云う大害を醸すかも知れない。こう考えた金将軍は三十年前の清正のように、桂月香親子を殺すよりほかに仕かたはないと覚悟した。 英雄は古来センティメンタリズムを脚下に蹂躙する怪物である。金将軍はたちまち桂月香を殺し・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
自然現象の科学的予報については、学者と世俗との間に意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議を醸す事あり。また個々の場合における予報の可能の程度等に関しては、学者自身の間にも意見は必ずしも一定せざる事多し。左の一篇は、一般に予・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・これらの沢山の不愉快な顔が醸す一種の雰囲気は強い伝染性を持っていて、外から乗り込んで来る人の心に、すぐさま暗い影を投げないではおかない、そして多くの人の腹の虫の居所を変えさせようとする傾向がある。 自分がこういう感じを始めてはっきり自覚・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・ 待つ心は日を重ね月を経るに従って、郷愁に等しき哀愁を醸す。郷愁ほど情緒の美しきものはない。長くわたくしが巴里の空を忘れ得ぬのもこの情緒のなすところであろう。 巴里は再度兵乱に遭ったが依然として恙なく存在している。春ともなればリラの・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・乏と同情の稀薄から起ったとすれば、我々は自分の家業商売に逐われて日もまた足らぬ時間しかもたない身分であるにもかかわらず、その乏しい余裕を割いて一般の人間を広く了解しまたこれに同情し得る程度に互の温味を醸す法を講じなければならない。それにはこ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ 冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏めたものに間違はないはずだと、こういうことになり・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・蕪村の句には夕風や水青鷺の脛を打つ鮓を圧す我れ酒醸す隣あり宮城野の萩更科の蕎麦にいづれのごとく二五と切れたるあり、若葉して水白く麦黄ばみたり柳散り清水涸れ石ところ/″\春雨や人住みて煙壁を漏る・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ただ静にして居ったばかりでは単に無聊に苦しむというよりも、むしろ厭やな事などを考え出して終日不愉快な事を醸すようになる。それが困るので甚だ我儘な遣り方ではあるが、左千夫、碧梧桐、虚子、鼠骨などいう人を急がしい中から煩わして一日代りに介抱に来・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫