・・・ 現代の婦人作家では野上彌生子氏が幾冊かの翻訳を小さい人々のためにおくっている。 ちょっと考えると、女性と子供との習俗的な近さから、婦人作家なら誰でも、何となし子供のための文学に一応興味をもってよかりそうな気持が一般にあるのではなか・・・ 宮本百合子 「子供のためには」
・・・私の知っているどの女の方にも、そういうところがあります。野上さんなどにしても、もっと仕事のお出来になる筈の方なのに、やはり子供の世話や、家庭のことに、半ばはとられて、ただ、仕事の方により力の重心の傾く場合と、家事の方に傾く場合とは、間断なく・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・ このことは私どもが自身の問題としてしばしば経験していることであるし、また、昨年のうちに発表された野上彌生子さんの「小鬼の歌」という作品などは、その点について大きな警告を婦人作家に向ってあたえたものといえると思います。婦人作家としてあれ・・・ 宮本百合子 「女流作家多難」
・・・ 生田花世氏の言葉「余り不幸だと一種の公明正大さが出来ますな、自分の利益にはならないでもね」 野上さんの或面「情の人には嫌われても、知の人には尊敬される人ですね。面白い存在だと思います」――伊・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ また或る夜、そこは野上さん家で、芥川さん、内田百間さん、中川一政さん御夫婦と私の集りでした。野上さんの謡の先生に、尾上さんという方があって素晴らしい謡だから一遍きかせたいと、招ばれたのです。謡は謡ですんで、内田さん、芥川さん、互に・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・ 目白の女子大にいたのは、ほんの一学期であったが、ここで知った網野菊子さんは、今も私の誠意ある友達の一人である。野上彌生子さんその他何人かの友達も、やはり文学を中心としてその歴史をさかのぼり、今日まで流れすすんで来たりした過程にめぐりあ・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・一九二三年関東大震災の被害は直接は受けなかった。三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし小規模の救援事業をした。野上彌生子とこれらの数年間に知る。一九二四年春ごろから少し書くことができるよう・・・ 宮本百合子 「年譜」
野上彌生子様 私が女学校の五年生であった頃、多分読売新聞に御連載に成った「二人の小さいヴァガボンド」を、深い感銘を以て拝読して以来、御作はいつも、密接な心的関係を保って、今日に至っております。 それは勿論、貴女が自・・・ 宮本百合子 「野上彌生子様へ」
・・・ 四月十一日 伊太利亜の古陶、心の河、それをしまって野上さんのところへ行ったときYに会う。 二十二日 Y来 散歩。 二十八日 鎌倉 五月六日 Yと活動を見る。 九日 安積に立つ。 五月二十八日 Y、安積へ・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
・・・のようにきょうの一般の現実には失われた世界の常識にぬくもって、美文に支えられているとき、野上彌生子が、「迷路」にとりくんでいることは注目される。「青鞜」の時代、ソーニャ・コヴァレフスカヤの伝記をのせたが、青鞜の人々の行動の圏外にあった野上彌・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
出典:青空文庫