のむらかつや【野村克也】
[1935〜2020]プロ野球選手・監督。京都の生まれ。昭和29年(1954)南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。昭和40年(1965)戦後初の三冠王を獲得。昭和45年(1970)から昭和52年(1977)は選手兼任監督として活躍。本塁打王9回、打点王7回、通算657本塁打など、数々の記録を樹立。引退後はヤクルト・阪神・楽天などの監督を歴任した。
のむらきちさぶろう【野村吉三郎】
[1877〜1964]海軍軍人・外交官。和歌山の生まれ。軍令部次長・鎮守府司令長官・外相などを経て駐米大使。太平洋戦争開戦まで日米交渉にあたった。
のむらこどう【野村胡堂】
[1882〜1963]小説家・音楽評論家。岩手の生まれ。本名、長一。「銭形平次捕物控」などで大衆文学の新生面を開く一方、「あらえびす」の筆名で「ロマン派の音楽」なども執筆。
のむらほうてい【野村芳亭】
[1880〜1934]映画監督。京都の生まれ。本名、粂蔵 (くめぞう) 。長男は映画監督野村芳太郎。日本映画のパイオニア的存在。代表作「清水次郎長」「女殺油地獄 (おんなごろしあぶらのじごく) 」「父帰る」「金色夜叉 (こんじきやしゃ) 」など。
のむらぼうとうに【野村望東尼】
[1806〜1867]江戸末期の歌人。名はもと。号、招月・向陵。福岡藩士野村貞貫の後妻。夫の死後、剃髪 (ていはつ) して望東尼と称した。和歌を大隈言道に師事。勤王の志厚く、高杉晋作らと親交があったため、姫島に流された。歌集「向陵集」、著「上京日記」など。
のむらまんぞう【野村万蔵】
[1898〜1978]和泉 (いずみ) 流狂言方。6世。東京の生まれ。前名、万作・万造。洒脱な芸風で狂言の地位を高めた。
のむらよしたろう【野村芳太郎】
[1919〜2005]映画監督・製作者。京都の生まれ。映画監督野村芳亭の長男。「張込み」「影の車」「砂の器」など、松本清張の小説を映画化し、評価を得る。製作者としては、山田洋次監督「キネマの天地」などを手がけた。
のむらへきうんそう【野村碧雲荘】
⇒碧雲荘