・・・最も写実的なる作家西鶴でさえ、かれの物語のあとさきに、安易の人生観を織り込むことを忘れない。野間清治氏の文章も、この伝統を受けついで居るかのように見える。小説家では、里見とん氏。中里介山氏。ともに教訓的なる点に於いて、純日本作家と呼ぶべきで・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・日本では、一九三三年以後の社会と文学の形相があまり非理性的で殺伐であったために、その時期に青年期を経たインテリゲンチャの多くの人が、その清新生活では主として人民戦線のフランスに亡命した形があった。野間宏にしろ、加藤周一にしろ。それらの人たち・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・フランス文学と云っても、それは、ナチス軍がマジノ線を突破する以前の、ポール・ヴァレリーやジイドなどの文学だった。野間宏が、自分は十二年間ヴァレリーの言葉をもって語って来た、と回想しているのは、誇張ではないであろう。野間宏の人間と文学との過程・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ 第三は、インテリゲンチャの間から野間宏、椎名麟三、中村真一郎氏その他の作家が注目すべき創作活動を行ったこと、勤労大衆の文化的活動がさかんになってきて文学サークル協議会が確立し、『文学サークル』という雑誌が出るようになったし、全逓新聞の・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・『黄蜂』という雑誌に野間宏という人の「暗い絵」という作品が連載中です。ブリューゲルの暗い、はげしい、気味わるい魅力にみちた諷刺画「十字架」の画面の描写からはじまって、ちょうど一九三七年ころの京大に、かろうじて存続していた学生運動のグルー・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
出典:青空文庫