・・・鴻雁翔天の翼あれども栩々の捷なく、丈夫千里の才あって里閭に栄少し、十銭時にあわず銅貨にいやしめらるなぞと、むずかしき愚痴の出所はこんな者とお気が付かれたり。ようやくある家にて草鞋を買いえて勇を奮い、八時半頃野蒜につきぬ。白魚の子の吸物いとう・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 手拭と二銭銅貨を男に渡す。片手には今手拭を取った次手に取った帚をもう持っている。「ありがてえ、昔時からテキパキした奴だったッケ、イヨ嚊大明神。と小声で囃して後でチョイと舌を出す。「シトヲ、馬鹿にするにも程があるよ。 大・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・鍋にきたない紙幣や銅貨をいれて、不潔じゃないか。あの女たちの図々しさ。服装がどうにかならぬものだろうか。趣味が悪いよ。 人道主義。ルパシカというものが流行して、カチュウシャ可愛いや、という歌がはやって、ひどく、きざになってしまった。・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。となりの部屋の若旦那は、ふすまをあけたら、浴衣がかかっていて、どうも工合いがわるかった、など言って、みんな私よりからだが丈夫で、大河内昇とか、星武太・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・おまえは、私に一箇の銅貨をさえ与えたことがなかった。おれは死ぬるともおまえを拝まぬ。歯をみがき、洗顔し、そのつぎに縁側の籐椅子に寝て、家人の洗濯の様をだまって見ていた。盥の水が、庭のくろ土にこぼれ、流れる。音もなく這い流れるのだ。水到りて渠・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・各自の望みを追うに暇のない世人は、たまに彼の萎びた掌に一片の銅貨を落す人はあっても、おそらくはそれはただ自分の心の中の慈善箱に投げ入れるに過ぎぬであろう。そして今特別の同情を以て見ている余にさえも、この何処の何人とも知れぬ人の記憶が長く止ま・・・ 寺田寅彦 「凩」
・・・ 十幾年前にフィンランドの都ヘルジングフォルスへ遊びに行った時に私を案内して歩いたあちらの人が、財布から白銅貨のような形をした切符を出して、車掌というものの居ない車掌台の箱に投げ込むのを見た。つまらない事だが、私が今でもこの国この都を想・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・このような人々の群れの中にただ一人立ち上がって、白張りの蝙蝠傘を広げたのを逆さに高くさし上げて、親船の舷側から投げる銀貨や銅貨を受け止めようとしている娘があった。緑がかったスコッチのジャケツを着て、ちぢれた金髪を無雑作に桃色リボンに束ねてい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・手を切りそうな五円札を一重ねに折りかえして銅貨と一緒に財布へ押しこんだのを懐に入れて、神保町から小川町をしばらくあちこち歩いていた。美しさを競うて飾り立てた店先を軒ごとに覗き込んでいた。竹村君はこうして店先を覗くのが一つの楽しみである。こと・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・ 頭をなでてくれたり、私が計算してわたす売上金のうちから、大きな五厘銅貨を一枚にぎらしてくれることもあった。 五厘銅貨など諸君は知らないかも知れぬが、いまの一銭銅貨よりよっぽど大きかったし、五厘あると学校で書き方につかう半紙が十枚も・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫