・・・神父は何も知らぬ女の顔へ鋭い眼を見据えると、首を振り振りたしなめ出した。「お気をつけなさい。観音、釈迦八幡、天神、――あなたがたの崇めるのは皆木や石の偶像です。まことの神、まことの天主はただ一人しか居られません。お子さんを殺すのも助ける・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ 声をかけたのは三十前後の、眼の鋭い、口髭の不似合な、長顔の男だった。農民の間で長顔の男を見るのは、豚の中で馬の顔を見るようなものだった。彼れの心は緊張しながらもその男の顔を珍らしげに見入らない訳には行かなかった。彼れは辞儀一つしなかっ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・幼い時から、記憶の鋭い婦人である。「じゃ、九人になる処だった。貴女の内へ遊びに行くと、いつも帰りが遅くなって、日が暮れちゃ、あの濠端を通ったんですがね、石垣が蒼く光って、真黒な水の上から、むらむらと白い煙が、こっちに這いかかって来るよう・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ その時、吉弥は僕のうしろに坐っているお君の鋭い目に出くわしたらしい。急に険相な顔になって、「何だい、そのにらみざまは? 蛙じゃアあるめいし。手拭をここへ置くのがいけなけりゃア、勝手に自分でどこへでもかけるがいい! いけ好かない小まッち・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ すると、三十近くの痩繊の、目の鋭い無愛相な上さんが框ぎわへ立ってきて、まず私の姿をジロジロ眺めたものだ。そうして懐手をしたまま、「お上り。」と一言言って、頤を杓った。 頤で杓った所には、猿階子が掛っていて、上り框からすぐ二階へ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・「貴方のような鋭い方は、あの人の欠点くらいすぐ見抜ける筈でっけど……」 どこを以って鋭いというのかと、あきれていると、女は続けて、さまざま男の欠点をあげた。「……教養なんか、ちょっともあれしませんの。これが私の夫ですというて、ひ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・Kは彼の顔を見るなり、鋭い眼に皮肉な微笑を浮べて、「君の処へも山本山が行ったろうね?」と訊いた。「あ貰ったよ。そう/\、君へお礼を云わにゃならんのだっけな」「お礼はいゝが、それで別段異状はなかったかね?」「異状? ……」彼に・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・しかし、柔らかい蹠の、鞘のなかに隠された、鉤のように曲った、匕首のように鋭い爪! これがこの動物の活力であり、智慧であり、精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。 ある日私は奇妙な夢を見た。 X――という女の人の私室・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
出典:青空文庫