・・・……振返ると、白浜一面、早や乾いた蒸気の裡に、透なく打った細い杭と見るばかり、幾百条とも知れない、おなじような蛇が、おなじような状して、おなじように、揃って一尺ほどずつ、砂の中から鎌首を擡げて、一斉に空を仰いだのであった。その畝る時、歯か、・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・風のごとく駆下りた、ほとんど魚の死骸の鰭のあたりから、ずるずると石段を這返して、揃って、姫を空に仰いだ、一所の鎌首は、如意に似て、ずるずると尾が長い。 二階のその角座敷では、三人、顔を見合わせて、ただ呆れ果ててぞいたりける風情がある・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・底を背負って、一廻りまわって、船首へ、鎌首を擡げて泳ぐ、竜頭の船と言うだとよ。俺は殿様だ。…… 大巌の岸へ着くと、その鎌首で、親仁の頭をドンと敲いて、だってよ、べろりと赤い舌を出して笑って谷へ隠れた。山路はぞろぞろと皆、お祭礼の茸だね。・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・蘆萱を引伏せて、鎌首を挙げたのは、真赤なヘルメット帽である。 小県が追縋る隙もなかった。 衝と行く、お誓が、心せいたか、樹と樹の幹にちょっと支えられたようだったが、そのまま両手で裂くように、水に襟を開いた。玉なめらかに、きめ細かに、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
一「やあ、やまかがしや蝮が居るぞう、あっけえやつだ、気をつけさっせえ。」「ええ。」 何と、足許の草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣の単衣、藍鼠無地の絽の羽織で、身軽に出立った、都・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 尾を撮んで、にょろりと引立てると、青黒い背筋が畝って、びくりと鎌首を擡げる発奮に、手術服という白いのを被ったのが、手を振って、飛上る。「ええ驚いた、蛇が啖い着くです――だが、諸君、こんなことでは無い。……この木製の蛇が、僕の手練に・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ ジュッ、ジュッ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼き声を模ねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家でカナリヤを飼っていたことがある。 美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなど・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・そのような大事のときでも、その緊張をほぐしたい私の悪癖が、そっと鎌首もたげて、ちらと地平の足もとを覗いて、やられた。停車場まで、きつく顔をそむけて、地平が、なにを言っても、ただ、うんうんとうなずいていた。地平は、わざわざ服を着かえて来て呉れ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ともすると鎌首もたげようとする私の不眠の悲鳴を叩き伏せ、叩き伏せ、お念仏一ついまは申さず、歯を食いしばって小説の筋を考え、そうして、もっぱら睡眠の到来を期待しているのである。それは、なかなかの苦しさであった。謂わば、私は、眠りと格闘していた・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 私の胸の中では、毒蛇が鎌首を投げた。一歩一歩の足の痛みと、「今日からの生活の悩み」が、毒蛇をつッついたのだ。「おい、今んになって、口先で胡魔化そう、ったって駄目だよ。剥製の獣じゃあるめえし、傷口に、ただの綿だけ押し込んどいて、それ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫