・・・文学鑑賞は、本格的であった。実によく読む。洋の東西を問わない。ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去二年後に発表のこと、と書き認められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられて・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・この鑑賞の仕方は、頭のよさであり、鋭さである。眼力、紙背を貫くというのだから、たいへんである。いい気なものである。鋭さとか、青白さとか、どんなに甘い通俗的な概念であるか、知らなければならぬ。 可哀そうなのは、作家である。うっかり高笑いも・・・ 太宰治 「一歩前進二歩退却」
・・・ 私は自分が小説を書く事に於いては、昔から今まで、からっきし、まったく、てんで自信が無くて生きて来たが、しかし、ひとの作品の鑑賞に於いては、それだけに於いては、ぐらつく事なく、はっきり自信を持ちつづけて来たつもりなのである。 私はそ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・そうでないときは作者の一人合点に陥って一般鑑賞者の理解を得ることは困難である。 映画と夢 以上のごとく考えて来るとわれわれは自然に映画と夢との比較を暗示される。 夢の中に現われる雑多な心像は一見はなはだ突飛なもの・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・の演奏を写したものであったが、これを見ながら聴きながら考えたことは、自分がベルリンへ行って実地に臨むよりもこうした映画で鑑賞する方が十倍も百倍も面白いのではないかということであった。第一、実地ではこんなに演奏者を八方から色々の距離と角度で眺・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・もしそうだとすれば日本人は彼の映画を鑑賞する際に、アメリカ人や、ドイツ人には許されない特等席の一部を占有した形になるのである。「百万両」にはなんとなく諧調の統整といったようなものが足りなくて、違った畑のものが交じっているような気がしたが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・骨董品――ことに古陶器などには優れた鑑賞眼もあって、何を見せても時代と工人とをよく見分けることができたが、粗野に育った道太も、年を取ってからそうした東洋趣味にいくらか目があいてきたようで、もし金があったら庭でも作ってみたいような気持にたまに・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・人の家の床の間に画幅の掛けられているのを見て、直にその家の主人を以て美術の鑑賞家となす事の当らざるに似ているであろう。世にはまた色紙短冊のたぐいに揮毫を求める好事家があるが、その人たちが悉く書画を愛するものとは言われない。 祖国の自然が・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・一立斎広重の板画について、雪に埋れた日本堤や大門外の風景をよろこぶ鑑賞家は、鏡花子の筆致のこれに匹如たることを認めるであろう。 鉄道馬車が廃せられて電車に替えられたのは、たしか明治三十六年である。世態人情の変化は漸く急激となったが、しか・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・理性にも同情にも訴うるのでなく、唯過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき衆生であるのだ。女の嫌いな人に強て女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然もその害毒を恐れ・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫