・・・古風な唐草模様のピアノの譜面台らしいものに長方形の鏡をはめこんだもので、今だにそれを箪笥の上に立てかけて使っている。この鏡と手鏡だけが、私の朝夕の顔、泣いた顔、うれしそうにしている時の顔を映すものなのだが、考えてみれば姿見だの鏡台だのという・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・ 店と云えば、僅か二尺に三尺位の長方形の台がある許りだ。白布がいやに折目正しく、きっぱりかけてある。その上に、十二三箇小さな、黄色い液体の入った硝子瓶がちらばら置かれている。白布の前から一枚ビラが下っていた。「純良香水。一瓶三十五銭・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 宿を出、両側、歩道の幅だけ長方形の石でたたんだ往来を、本興善町へ抜け、或る角を右にとる。町家は、表に細かい格子をはめた大阪風だ。川がある。柳の葉かげ、水際まで石段のついた支那風石橋がかかっている。橋上に立つと、薄い夕靄に柔められた光線・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・窓の小さいのが三つ位開いて単純な長方形のガラス越に寒そうな青白い月光の枯れ果てた果樹園を照らしてはるかに城壁が真黒に見える。長椅子からよっぽどはなれた所に青銅製の思い切って背の高いそして棒の様な台の上に杯の様な油皿のついた燈火を置い・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・半信半疑に近よったら、長方形の紙に、赤旗編輯局とはり出されて、両開きのガラス戸の入口がしまっていた。 赤旗編輯局。――ひろ子は、その字がよめる距離から入口のドアをあけるまで、くりかえしくりかえし、その五字を心に反覆した。これまで、日本で・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 庭の向うに、横に長方形に立ててある藁葺の家が、建具を悉くはずして、開け放ってある。東京近在の百姓家の常で、向って右に台所や土間が取ってあって左の可なり広い処を畳敷にしてあるのが、只一目に見渡される。 縁側なしに造った家の敷居、鴨居・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・二階の上がり口は長方形の間の、お松やお金の寝ている方角と反対の方角に附いているので、二列に頭を衝き合せて寝ている大勢の間を、お松は通って行かなくてはならない。 お松が電灯の下がっている下の処まで歩いて行ったとき、風がごうと鳴って、だだだ・・・ 森鴎外 「心中」
・・・門口を這入って左側が外壁で、家は右の方へ長方形に延びている。その長方形が表側と裏側とに分れていて、裏側が勝手になっているのである。 東京から来た石田の目には、先ず柱が鉄丹か何かで、代赭のような色に塗ってあるのが異様に感ぜられた。しかし不・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・それを這入ると、向うに煤けたような古家の玄関が見えているが、そこまで行く間が、左右を外囲よりずっと低いかなめ垣で為切った道になっていて、長方形の花崗石が飛び飛びに敷いてある。僕に背中を見せて歩いていた、偶然の先導者はもう無事に玄関近くまで行・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ 暫くして吉は、その丸太を三、四寸も厚味のある幅広い長方形のものにしてから、それと一緒に鉛筆と剃刀とを持って屋根裏へ昇っていった。 次の日もまたその次の日も、そしてそれからずっと吉は毎日同じことをした。 ひと月もたつと四月が来て・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫