・・・白糸、美しき風のごとく格子を出でてハタと鎖す。撫子指を打って悩む。欣弥 私は、俺は、婦の後へは駈出せない、早く。撫子 欣弥 早く、さあ早く。撫子 (門太夫さん……姉さん。白糸 お放し!撫子 いいえ。大正五年二・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・年年秋月与二春花一 〔年年 秋の月と春の花と行楽何知鬢欲レ華 行楽して何ぞ知らん鬢華らんと欲するを隔レ水唯開川口店 水を隔てて唯だ開く川口の店背レ空鎖葛西家 を背にして空しく鎖す葛西の家紅裙翠黛人終老 紅・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・蔦鎖す古き窓より洩るる梭の音の、絶間なき振子の如く、日を刻むに急なる様なれど、その音はあの世の音なり。静なるシャロットには、空気さえ重たげにて、常ならば動くべしとも思われぬを、ただこの梭の音のみにそそのかされて、幽かにも震うか。淋しさは音な・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果しもない虫の音に伴れて、果しもない芒の簇りを眼も及ばない遠くに想像した。そうしてそれを自分が今取り巻かれている・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・ 濛々と天地を鎖す秋雨を突き抜いて、百里の底から沸き騰る濃いものが渦を捲き、渦を捲いて、幾百噸の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・糠粒を針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵と煤煙を溶かして濛々と天地を鎖す裏に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。 無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が鴉が五羽いたでしょうと云う。・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・この時、無窮と見えた雲の運動は止まって、踏むさえ惜しい黄金の土地の上を、銀色の川が横ぎって、池の菱の花は、静かに、その瞼を閉ざすのである。 池の最も美わしい時、この池の尊さの染々と身にしみる時、それは只、真夏の夕べの、景色にばかり、池の・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫