亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。ダンスに夢中になってる善男善女が刃引の鈍刀に脅かされて、ホテルのダンス場は一時暫らく閉鎖された。今では余熱が冷めてホテルのダンス場・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・鶴さんはもと料理人で東京の一流料理店で相当庖丁の冴えを見せていたのだが、高級料理店の閉鎖以来、細君のオトラ婆さんの故郷のこの町へ来て、細君は灸を据えるのを商売にしているが、鶴さんには夫婦喧嘩以外にすることはない。 こうして、鶴さんとオト・・・ 織田作之助 「電報」
・・・、その女給時代に、筋のいいお客を私の店に連れて来て飲ませて、私の家の馴染にしてくれるという、まあ蛇の道はへび、という工合いの附合いをしておりまして、そのひとのアパートはすぐ近くでしたので、新宿のバアが閉鎖になって女給をよしましてからも、ちょ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・この二番目の女房は、私が本郷に小さいミルクホールをひらいた時、給仕女として雇った女で、ミルクホールが失敗して閉鎖になってもそのままずるずると私のところに居ついてしまいまして、この女はまた金を欲しがる事、あたかも飢渇の狼の如く、私の詩の勉強な・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・それから、飲食店閉鎖の命令の出る直前に、もういちど、上役のお供で「さくら」に行き、スズメに逢った。「閉鎖になっても、この家へおいでになって私を呼んで下さったら、いつでも逢えますわよ。」 鶴はそれを思い出し、午後七時、日本橋の「さくら・・・ 太宰治 「犯人」
これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未だ発せられない前のお話である。 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、・・・ 太宰治 「眉山」
・・・ あまりに抽象的で特殊な少数の観客だけにしか評価されないようなものは結局映画館と撮影所とを閉鎖の運命に導く役目しか勤めない。しかし、また一方、大衆にわかりやすい常套手段をいつまでも繰り返しているのでは飽きやすい世間からやがて見捨てられる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・博覧会の跡は大半取り崩されているが、もとの一号館から四号館の辺は、閉鎖したままで残っている。壁はしみに汚れ、明り取りの窓硝子はところどころ破れ落ちかかって煤けている。おおかた葉をふるうた桜の根には取りくずした木材が乱雑に積み上げられて、壁土・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・は主にその方のものを並べてみる事にする。種崎 アイヌの「タンネ」は長い。「サッカイ」は砂堆ですなわち長い砂嘴。孕 「パラモイ」は広き静処で湾の名になる。しかしチャムで「ハラム」は閉鎖の義であるからその方かもしれぬ。比島 「ピ」は・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・これは連歌時代からすでに発句がそれ自身に完結し閉鎖した形式を備えるべきものと考えられた結果起こった要求に応ずるための規定である。閉鎖してさえいれば四十八字皆切れ字であり、閉鎖していなければ「や」でも「かな」でも切れ字ではない。閉鎖するとは何・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫