・・・我ら会員は年齢順に従い、夫人に憑依せるトック君の心霊と左のごとき問答を開始したり。 問 君は何ゆえに幽霊に出ずるか? 答 死後の名声を知らんがためなり。 問 君――あるいは心霊諸君は死後もなお名声を欲するや? 答 少なくとも・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 慰問会がおわるとすぐに、事務室で通信部を開始する。手紙を書けない人々のために書いてあげる設備である。原君と小野君と僕とが同じ机で書く。あの事務室の廊下に面した、ガラス障子をはずして、中へ図書室の細長い机と、講堂にあるベンチとを持ち・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・平和は根柢から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外、何を顧みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定めて置いた高・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・或人は営業開始の時期を訊いた。或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に及ぼす影響などゝ云う大問題を提起した。中には又突拍子もない質問を提出したものもあった。曰く、『焼けた本の目録はありますか?』 丸善は如何・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・彼等は、夜のうちに、死んだ友をことごとく片づけて、明くる日は、さらに新しく生活戦を開始すべく、立直っているように見えたからでした。 昔、読んだスタンレーの探検記には、アフリカの蛮地で兇猛なあり群に襲われることが書いてあった。たしかに、猛・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ 第五スタジオの控室で、放送開始時間を待っていると、給仕が、「赤団治さんに御面会です。お宅の奥さんが受付へ来ておられます」と、知らせに来た。「えっ、女房が……? 新聞を見て来よったんやろか。すぐ行きます。おおけに……」 飛び・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ろが、南禅寺でのその対局をすませていったん大阪へ引きあげた坂田は、それから一月余りのち、再び京都へ出て来て、昭和の大棋戦と喧伝された対木村、花田の二局のうち、残る一局の対花田戦の対局を天龍寺の大書院で開始した。私は坂田はもう出て来まいと思っ・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ どちらも、後方の本陣へ伝令を出すこともなく、射撃を開始することもなく、その日はすぎてしまった。しかし、不安は去らなかった。その夜は、浜田達にとって、一と晩じゅう、眠ることの出来ない、奇妙な、焦立たしい、滅入るような不思議な夜だった。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 初めて敵と向いあって、射撃を開始した時には、胸が非常にワク/\する。どうしても落ちつけない。稍もすると、自分で自分が何をしているのか分らなくなる。でも、あとから考えてみると、チャンと、平素から教えならされたように、弾丸をこめ、銃先を敵・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・ 戦争開始前、「万朝報」によった幸徳秋水、堺利彦、黒岩涙香等は「非戦論」を戦わした。しかし、明治三十六年十月八日、露国の満洲撤兵第三期となった時、戦争はもはや到底避けられないことが明かになるや、黒岩涙香は主戦論に一変した。幸徳、堺は「万・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫