・・・ただ庭先から川向うを見ると、今は両国停車場になっている御竹倉一帯の藪や林が、時雨勝な空を遮っていたから、比較的町中らしくない、閑静な眺めには乏しくなかった。が、それだけにまた旦那が来ない夜なぞは寂し過ぎる事も度々あった。「婆や、あれは何・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・が、想像したほど、閑静な住居でもないらしい。昔通りのくぐり門をはいって、幅の狭い御影石の石だたみを、玄関の前へ来ると、ここには、式台の柱に、銅鑼が一つ下っている。そばに、手ごろな朱塗の棒まで添えてあるから、これで叩くのかなと思っていると、ま・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・御閑静で実に結構です。霧が湧いたように見えますのは。」「烏瓜でございます。下闇で暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方は何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭。」 ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・――現在、昨日の午餉はあすこで食べたよ。閑静で、落着いて、しんみりして佳い家だが、そんな幽霊じみた事はいささかもなかったぜ。」「いいえ、あすこの、女中さんが、鹿落の温泉でなくなったんです。お藻代さんという、しとやかな、優しい人でした。…・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・また暑中休暇の期間だけ、閑静な処にて自然に親しませることは、虚弱な児童等にとって必要なことである。林間学校、キャンプ生活、いずれも理想的なるに相違ないが、それには、費用のかゝることであり、無産者の子供は、加わることができない。要は、適当なる・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・それは細いだら/\の坂路の両側とも、石やコンクリートの塀を廻したお邸宅ばかし並んでいるような閑静な通りであった。無論その辺には彼に恰好な七円止まりというような貸家のあろう筈はないのだが、彼はそこを抜けて電車通りに出て電車通りの向うの谷のよう・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「閑静でいいなあ、別世界へでも来た気がする。終日他人の顔を見ないですむという生活だからなあ」 惣治はいつもそう言った。……厭な金の話を耳に入れずに、子供ら相手に暢気に一日を遊んで暮したいと思ってくるのであった。耕吉は弟があの山の中の・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・庭の花畠に接した閑静な居間だ。そこだけは先生の趣味で清浄に飾り片附けてある。唐本の詩集などを置いた小机がある。一方には先の若い奥さんの時代からあった屏風も立ててある。その時、先生は近作の漢詩を取出して高瀬に見せた。中棚鉱泉の附近は例の別荘へ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ それだから一見閑静な田舎に住まっていては、とても一生懸命な自分の仕事に没頭しているわけにはいかない。それには都会の「人間の砂漠」の中がいちばん都合がいい。田舎では草も木も石も人間くさい呼吸をして四方から私に話しかけ私に取りすがるが、都・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
出典:青空文庫