・・・ 本多子爵はこう云って、かすかな吐息を洩しながら、しばらくの間口を噤んだ。じっとその話に聞き入っていた私は、子爵が韓国京城から帰った時、万一三浦はもう物故していたのではないかと思って、我知らず不安の眼を相手の顔に注がずにはいられなかった・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・どれも赤い柱、白い壁が、十五間間口、十間間口、八間間口、大きなという字をさながらに、湯煙の薄い胡粉でぼかして、月影に浮いていて、甍の露も紫に凝るばかり、中空に冴えた月ながら、気の暖かさに朧である。そして裏に立つ山に湧き、処々に透く細い町に霧・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をくわえた石の狐を売る店があったり、簔虫の巣でつくった銭入れを売る店があったり、赤い硝子の軒灯に家号を入れた料理仕出屋があったり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・つまりそれだけ大阪弁は書きにくいということになるわけだが、同時にそれは大阪弁の変化の多さや、奥行きの深さ、間口の広さを証明していることになるのだろうと私は思っている。 たとえば、谷崎潤一郎氏の書く大阪弁、宇野浩二氏の書く大阪弁、上司小剣・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・私はこの横丁へ来て、料理屋の間にはさまった間口の狭い格子づくりのしもた家の前を通るたびに、よしんば酔漢のわめき声や女の嬌声や汚いゲロや立小便に悩まされても、一度はこんな家に住んでみたいと思うのであった。 天辰はこの雁次郎横丁にある天婦羅・・・ 織田作之助 「世相」
・・・気の無い返事だったが、しかし、あくる日から彼は黙々として立ちまわり、高津神社坂下に間口一間、奥行三間半の小さな商売家を借り受け、大工を二日雇い、自分も手伝ってしかるべく改造し、もと勤めていた時の経験と顔とで剃刀問屋から品物の委託をしてもらう・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・とある横町の貧しげな家ばかり並んでいる中に挾まって九尺間口の二階屋、その二階が「活ける西国立志編」君の巣である。「桂君という人があなたの処にいますか」「ヘイいらっしやいます、あの書生さんでしょう」との山の神の挨拶。声を聞きつけてミシ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 見ると、やはり黒ずんだ間口十間ほどもある古風の料亭である。「よすぎる。たかいんじゃないか?」私の財布には、五円紙幣一枚と、それから小銭が二、三円あるだけだった。「いいのです。かまいません。」幸吉さんは、へんに意気込んでいた。・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
科学上における権威の効能はほとんど論ずる必要はないほど明白なものである。ことに今日のごとく各方面の科学は長足の進歩を遂げてその間口の広い事、奥行の深い事、既往の比でない。なかなか風来人が門外から窺い見てその概要を知る事も容・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・運送屋の広い間口の店先には帳場格子と金庫の間に若い者が算盤を弾いていたが人の出入りは更に見えない。鼠色した鳩が二、三羽高慢らしく胸を突出して炎天の屋根を歩いていると、荷馬の口へ結びつけた秣桶から麦殻のこぼれ落ちるのを何処から迷って来たのか痩・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫