・・・ことに大川は、赭ちゃけた粘土の多い関東平野を行きつくして、「東京」という大都会を静かに流れているだけに、その濁って、皺をよせて、気むずかしいユダヤの老爺のように、ぶつぶつ口小言を言う水の色が、いかにも落ついた、人なつかしい、手ざわりのいい感・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ 巻頭に入れた地図は、足利で生まれ、熊谷、行田、弥勒、羽生、この狭い間にしかがいしてその足跡が至らなかった青年の一生ということを思わせたいと思ってはさんだのであった。 関東平野の人たちの中には、この『田舎教師』を手にしているのをそこ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
真夏の正午前の太陽に照りつけられた関東平野の上には、異常の熱量と湿気とを吸込んだ重苦しい空気が甕の底のおりのように層積している。その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるこ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ 碓氷峠を下って関東平野にかかると今さらに景色の相違が目に立つ。落葉松、白樺、厚朴、かえでなどの代わりに赤松、黒松、榛、欅、桐などが幅をきかしている。そうして自由に放恣な太古のままの秋草の荒野の代わりに、一々土地台帳の区画に縛られた水稲・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ この辺の植物景観が関東平野のそれと著しくちがうのが眼につく。民家の垣根に槙を植えたのが多く、東京辺なら椎を植える処に楠かと思われる樹が見られたりした。茶畑というものも独特な「感覚」のあるものである。あの蒲鉾なりに並んだ茶の樹の丸く膨ら・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・寒暖二様の空気が関東平野の上に相戦うために起る気象現象である。気層の不平の結果である。 昔、不平があると穴を掘ってはこっそりその中へ吐き込んだ人がある。自分も何かしら書きたいことがあって筆を取ったはずであったが、思うことがなかなか思うよ・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
出典:青空文庫